ギャンブル依存症克服への道 〜パチンコ依存症・スロット依存症・断ギャンブル道場です!〜

ギャンブル依存症を治療し、快復・克服することは大変困難です。どうぞ遠慮なくご相談ください。ここでは、生活環境と生活習慣を改善してギャンブル依存症を克服する方法を、お金の専門家FPがご提供いたします。やめさせたいあなたも、ぜひどうぞ! 

保険屋時代 その4

こんばんは、タカビーです。

遅い時間ですが、保険屋時代、続きです。


忙しい奴ほど怪しい…

いろいろな仕事を経験してきたボクだが、営業職というのは本当にくせものだと思う。自己管理が、とにかく難しいのである。

自己管理が難しいとは、どういったことか? それは、ついつい自分に負けて仕事をサボってしまうということだ。

そしてサボることが常習化し始めると、もう手が付けられなくなる。かつてのボクもそうだったが、忙しいふりをしてとにかく早い時間から社外に出た。

勿論、行先はパチ屋である。忙しい奴ほど怪しいというのは、まず間違いないと思う。



■日課はモーニング取り

当時のボクは朝礼が終わると、さも忙しそうにふるまい、アタッシュケースをたたんで外へ出た。目的は一つである。行きつけのパチ屋に行って、モーニングにありつくことだった。

モーニングとは文字通り朝一サービスで、店側があらかじめパチスロ機にボーナスを仕込んでおく方法のことである。今ではモーニングを仕込むことが禁止されている。たが、当時はモーニングを入れているパチ屋が多かった。

モーニングのある店の前には必ず行列が出来る。とにかく千円分のコインを買ってモーニング台にありつけば、4千円強が儲かるからだった。

並ぶメンバーは毎朝殆ど同じだったが、古参のメンバーほど偉そうにしていた。メンバーの中には主婦や老婆なども交じっていたが、いかんせんパチスロというものは絵柄を揃えないとどうにもならない。

古参のメンバーの中で、その店を仕切っている自称プロのSという人物がいた。彼は主婦や高校生に小銭を掴ませ、モーニング台のアガリだけで喰っていた。


■汚いプロの世界

思えばボクは、実力がものをいう外務社員の世界から逃避しながら、同じような実力の世界であるパチプロに憧れていた。

しがらみを持たず自分の腕一本でメシを喰える彼らに、ボクは一抹の不安も待たず傾倒していたのである。

だがそんなボクも、次第にパチプロに失望するようになっていった。なぜなら、パチプロの世界がどれほど汚いものか思い知ることになったからだ。

その店にいたIというプロは店長と組んでいた。そして彼だけ、通常は賞玉が1個のフィーバー機を、賞玉15個に仕組んでもらっていた。それだけで彼は、毎日日当2万円を手にして帰った。

先に書いた自称プロのSだが、実際はプロどころかとんでもないイカサマ野郎だった。

彼も当時ボクが通っていたパチ屋の店長と組んで、抜いていた。

・一発台の放り込み
・高設定台のたらい回し
・コイン隠し

とことんやっていた彼だが、ある日組んでいた店長が異動した。それから彼の行動がエスカレートした。それまでのように稼げなくなったからである。

そしてそれから数日が経過し、事件が起きたのだ。

続く

保険屋時代 その3

こんばんは、タカビーです。

今夜も前回の続きです。


社内営業って

ここで当時の裏業界用語について、少し書いておこう。

社内営業とは一体何か? 社内営業には、主に2種類の方法があった。そのうちの一つは担当マネージャーに媚を売り、死骸漁りをすることだ。死骸を拾うことだって、立派な営業活動だったのである。

損保業界だけかもしれないが、辞めた外務社員が残した契約のことを死骸と呼んだ。また外務社員が会社を去るときは自分の契約を売ってからやめるのが常識で、だいたい収保額の1割くらいが販売額の相場だったように思う。

誰かが辞めれば真っ先に死骸にありつけるのは、一番実力がある社員だった。そして一番収保額が少ない社員には、手数料が少なく遠方の契約しか回ってこなかった。

だが社内営業の上手なやつは、巧みにマネージャーにすり寄り、おいしい契約をものにした。



■一本釣り

社内営業のもう一つの方法とは、一本釣りである。つまり大きな契約を、一本釣りするわけだ。

例えば自分が心安い銀行支店長と、支店のマネージャーを取り持つことが専門の外務社員もいた。簡単な話、支店の数字がどうにも足りない時、銀行の支店長に耳打ちして銀行の火災保険を融通してもらうのである。

当時から住宅物件の長期火災などは、金額が大きいので一発で数字を埋めるために重宝されていた。そして銀行はといえば、その見返りに保険会社から通知預金を頂戴するという寸法だった。

そういった社内営業をする外務社員は、人けのない時にマネージャーからそっと呼ばれ、銀行から回ってきた火災保険の扱い者となるのである。長期火災の保険料は高額なので、かなり大きなリベートを得ることができた。1件で10万を超す手数料が動くことさえあった。

そして契約をまわしたマネージャーが、極秘で外務社員から接待で奢りを受けるというのが当時では主流だった。今ならば、こういった手法はかなり大きな問題だろう。だが当時は、常識として通用していたのである。


■命がけだった生保レディー

先の記事でボクは生保レディーの枕営業について書いた。今では、とんでもないことかもしれないが、当時はやっている社員が多かった。それほどまでに生保の世界は厳しく、彼女たちは命がけだったのである。

ボクが枕営業のことを知ったのは、一つのきっかけがあったからだ。

とある日、ボクは行きつけの喫茶店でお茶を飲んでいた。すると一人の中年女性がボクの隣に座ると、名刺を差し出して挨拶した。以前から見かける顔だったが、彼女は同じビル内にある大手生保会社のセールスレディーだった。

当時、損保会社の外務員と生保レディーが協力し合うことは多かった。ボクはその人から「一緒に組まへん?」と誘われ、互いにお客さんを紹介し合うことにした。

その人は当時業界のことに詳しく、ボクはいろいろなことを教えてもらった。枕営業のこともそうだった。

ある日のこと彼女が枕営業という言葉を口にしたとき、ボクは何のことですか?と尋ねた。すると彼女は「タカビーちゃん 枕営業も知らへんの?」と半ば呆れた顔でボクを見つめ、タバコに火をつけた。それから彼女は、懇切丁寧にそれがどういったものか説明してくれた。

「あんた 生保の社員がなんで女ばっかりなんか 知らんのん!」

ポカンとするボクに彼女は次のように続けた。

「女の武器は色気なんよ それでお客さんを落とすわけよ」

「契約の為にお客さんと寝る社員は多いわ もっともアタシはやったことないけど…」

何でも話を聞くと、生保レディーは契約がそこそこ取れるようになるまで、とにかく出費の連続なのだという。仕方なしに枕営業する人が多かったのだろう。今思いつくだけでも、次のような出費があった。

・客への心づけ
・紹介手数料
・誕生日プレゼント
・成約お礼
・招待チケット
・販促品
・通信費
・衣装

当時、生保の支社に行って、ちょくちょく朝礼に出くわしたことがある。彼女たちが座るテーブルの上には所狭しと、いろいろな販促品が置かれてあった。また、共用の公衆電話があったことも思い出す。なんと営業で使う電話代まで自分持ちだった。

つまり営業に関するものは全て「自前」だったのである。そこにはキレイごとでは済まない、命がけの世界があったように思う…。

ボクは損保出身だが、生保に比べりゃまだまだ甘い世界だった…。

続く

保険屋時代 その2

こんばんは、タカビーです。少し更新が途切れました。4日間もブログを更新しないなど、今までにはなかったことです。

また今夜もお付き合いいただければ嬉しいです。


数字ってなんだ?

当時、ボクがいた保険会社は完全実力主義の世界だった。というか当時の損保業界は実績さえあげていれば、それで何もかもが許された世界だったといえる。

社内営業しょうが値引きしようが、はたまた保険料を立て替えようが、たとえ出社しなかったとしても、たった一つのルールさえ守っていればなんということはなかった。

先の記事でも書いたが、そのルールとは「数字」である。では数字とは何か? それは月末の社内会議におけるノルマの数字=額だった。

支店に居るマネージャーから課されたノルマを達成する。これが唯一、我々の義務だったといえる。また逆にいえば、それさえ達成していれば、何をしても文句など言われることもなかったのである。

ボクがいた支店は大阪市内にあったが、ちょうど道路を挟んで向かいはパチンコ店だった。さすがにボクはそこに出入りしなかったが、勤務中に堂々とそのパチンコ店で時間を潰す外務員も多かった。



■保険外務員の1日

あの頃の外務社員は、朝のひとときをお気に入りの喫茶店で過ごした。ゆっくりとコーヒーを飲んでスポーツ新聞を広げ、仲間たちとおしゃべりをしてから、おっちらと腰を上げるのである。出社するのはおおかた10時くらいだったろうか。会社の始業時間など、有って無いようなものだった。

保険料の入金がある時だけ、会社に顔を出す人が多かった。そして午前中に入金業務を終えると、殆どの社員がいそいそと姿をくらました。

彼等の行き先の多くはパチ屋だった。仕事など月末に集中してやればよいので、普段の日は遊んで暮らしている社員が多かったわけだ。

今考えてみるとこのボクも、ああいった職場環境で悪いことばかり覚えてしまった。営業で成功するには、自己管理が大切だと今つくづく思う。


■数字は命

ボクが入社した時のマネージャーは、数字を作るためならなんだってやる男だった。またボクらにどんなことでもやらせた。支店の目標を達成するためなら、手段を選ばないガチガチ人間だった。

契約の先食い(来月の契約を早く締結すること)を強制したり、自分のポケットマネーを差し出して保険料を平気で立て替えた。今じゃ考えられない話である。

営業会議の席で、数字達成が困難な人物がいれば平気で罵った。社員の中には会議中に泣き出す人物までいた。このボクも一度、「数字が作れないなら死ね!」と言われたことがある。

悔しい思いをすれば、なにくそと頑張るのが当たり前なのだが、あの当時のボクは一層仕事をしなくなった。会議が終われば、すぐにパチ屋へ出かけた。


■何もかもがいい加減だったあの頃

当時、ボクがいた損保業界もひどいものだったが、まだまだ上には上がいた。その業界とは、募集取締法で統治されていなかった共済である。

そのいい加減さと手ぬるさにかけては、並みの業界じゃなかっただろう。彼らは当時禁じられていた値引きなどお茶の子さいさいでやってのけたし、金をばら撒いて契約を釣るなど日常茶飯事だった。だから競合しても相手が共済だと、まず勝ち目がなかった。

ボクは共済のやり方に何度か驚かされたことがある。契約者に泣きつかれて、事故後に保険を締結するなど当たり前に行われていたからだ。代理店の手数料も共済は格段に高かった。火災共済など、3割から4割の手数料というのが当時の相場だった。

今考えてみれば、どの業界もひどいものだった。知り合いの銀行員も勤務終了後近くの雀荘で、高額の賭け麻雀をやっていた。今なら内部告発されて、チョンだろう。

生保業界では、もっと熾烈な数字管理が行われていた。ボクは頼まれて自分の名前を貸したことがあるし、その天ぷら契約が失効した時自宅に生保会社から電話してこられたりしたこともある。

怪訝そうな声で「なんでそんなに高額な契約を結ばれているのですか?」と。

話には聞いていたものの、本当に生保レディーの枕営業があることを知ったのもあの頃だった…。

続く

保険屋時代 その1

おはようございます、タカビーです。

またまた今日から、想い出話を書いてみようと思います。

ボクは今までいろいろな職業・バイトを経験してきました。ちなみに生まれて初めてのバイトは、高校1年の時に通っていた英会話スクールのビラ配りでした。

なんだって?・某自動車会社社員
・某保険会社の外交員
・ドライバー
・倉庫作業員
・自動車検査員
・整備工
・家庭教師
・焼き鳥屋の店員
・理髪のモデル
・某会社取締役
・チラシ配り
・荷役
・社内SE…etc

カッコいいものでは、テニスのインストラクターなんかしてました。ですが、逆に惨めなものではサンドイッチ・マンなんかもあって、あれはひどかったなぁ…。とにかく通行人は看板を見るのでなく、みんなジロジロとボクを見ているわけですから(汗

そしてバイトの期限が終わってヤレヤレと思っていたら、次に客引きやらないかと誘われて(笑 いわゆるポンビキです(爆

ですがいろいろな職歴の中で、良くも悪しくも一番印象に残っているのは「保険の外交員」だったと思います。以下、またまたたわ言モードでよろしくお願いします。


様を付けりゃ いいってもんじゃない

突然、変なハナシだが「お客さん」と「お客様」は違う。ボクの認識だが、他人の名前に「様」を付けりゃいいってもんでもないんだな。「様」は付けていい時と悪い時がある。

例えば、あなたが病院に行ったとしよう。待合で長時間待たされた後に呼ばれたのが、○○様だったらどうだろう? 違和感を覚えないだろうか?

まあこれはボクの考えだが、病院に来ている患者さんは仕方なしに来ている場合が殆どだ。好んで来ているわけではない。

もう一ついえば、喜んでお金を支払っているとはいえないだろう。病気になったから、仕方なしに治療費などを支払っているのである。

おそらくだが、名前に「様」を付けるというのは商売人、もしくはサービス業だ。提供した商品やサービスの対価としてお金を頂戴するからこそ、お客「様」なのである。

では、保険の場合はどうだろうか? おそらくだけどボクの場合、保険屋さんにタカビー様などと言われたら、背筋がゾクリとするような気がする。

だって保険のお客さんって、喜んで保険料を支払っているだろうか? ボクは、とんでもないと思うんだな…。

ボクは保険屋時代にこのことを、コテンパンになるほど思い知らされたってワケだ。



■保険屋時代

この記事を読んでいるあなたもそう思っているだろうけれど、保険料というのは本当に馬鹿馬鹿しい出費である。なぜなら、何らかの事故や障害などが起きない限り、支払ったお金が生きないのである。

つまり平穏無事に過ごしている限り、支払った保険料は全部ムダ銭というわけだ。ここで、「満期時や一定期間経過後に 払い戻しがある契約もあるじゃないか!」とおっしゃるあなたへ。

そういった払い戻し分のお金は前もって、契約者のあなたが積み立てたものだ。その分を上乗せして、保険会社は保険料を決定しているのである。

ここでボクが何を言いたいか。それは、多くの文系の学生が就職を希望する保険業界だが、その内情はというと、「かなりドス黒く ダーティーなものだ」ということだ。客からのイメージも決して良いとはいえないだろう。

今回はボクの備忘録も兼ねて、保険屋時代のことについて書いていこうと思う。


■何でもあり ただし

意見は様々だろうが、ボクは構造改革は失敗だったと思っている。自民の幹部もそれらしいことを言っているわけだから、まあ彼らも大筋で失敗だと思っているんだろうね。だが、やったこと全てが悪かったとはいえないだろう。

例えば不良債権問題解決やコンプライアンスの徹底などは、構造改革上で行われた数少ない善行ではなかったかと思う。

ボクが保険会社の外交員になったのは20年以上前だが、あの頃の保険会社は本当にすごかった。ひとことで言えば、何でもアリだった。コンプラなんて微塵もない時代だった。

・保険料の立て替え
・天ぷら契約(架空契約)
・領収証偽造
・等級温存
・印鑑偽装
・事後契約(事故後保険加入)
・なりすまし
・電話営業
・枕営業
・社内営業
・プレゼント営業
・お誕生日営業

保険料を呑んじゃう豪傑までいたもんだ。(保険料を着服し 事故があったときは外交員が命がけで保険金を支払う)

ただし、そういった業界ではあったが、一つだけわかりやすい鉄壁のルールが存在していた。それは「数字」というものである…。

続く

ニトロペン その2

こんにちは、タカビーです。

前回の続きです。


まっぴらごめんだ!

2055871597_e61286fd61_mパチ屋で倒れたあのとき、ボクはもうろうとする意識の中で確かにこう思っていた。「ここで死ぬのは嫌だ まっぴらごめんだ」と。

担架で救急車の中に運ばれると、真っ先に血圧を測られた。「こりゃひどいね」と隊員が顔をしかめた。後で聞けば、上が240くらいあったらしい。

ところがボクは安定剤を注射されて落ち着くと、医師の制止を振り切って病院を後にしたのだ。そしてパチ屋に戻った。出したコインが残っていることを確認し、それから閉店まで何食わぬ顔をしてリールを回し続けたことを思い出す。



■パチプロの場合

ここで少し、パチ(スロ)プロの話をしよう。

パチプロは確かに気楽な稼業である。なにしろ、人間関係というやつが殆ど存在しない。しかも自由出勤に日銭ときている。

ところが稼働している場所はといえば、かなり劣悪な環境である。聞きたくもない音楽がガンガンかかっているし、ウザい場内アナウンスが流れまくる。

それにホール自体が煙の城といえるほど、喫煙者が多い。副流煙も何もあったもんじゃない。ある意味、喫煙はパチ屋のシンボルというか一部分になっている。

若くて元気なころは平気でも、長年ホール通いを続けていれば、あちこちガタピシとなってくるのは当然だ。


■老プロの行く末とは

以前の記事にも書いたが、パチにしてもスロにしても、プロの選手生命は短い。パチンコでせいぜい40半ばくらい。スロットだとおそらくだが、もっと短くて30代が関の山だろう。

スロットの場合、プレーし続ける限り左手は宙に浮いたままだ。しかもその掌の中には、ずっとコインが握りしめられている。

パチスロのコインは、1枚がおよそ5グラムだといわれている。それを数十枚掴んだままプレーするわけだから、常に左手には100〜200gの負荷がかかっている。

しかも通常の場合、レバーを叩くのは左手の仕事である。だからこの重労働が原因となって、「スロット肩」になる人が多い。

まず肩甲骨の下にしこりが出来る。これが強烈なコリとなって、頸にまでコリが出始める。そして手がしびれたりするわけだ。

その状態を続けると、やがて頭痛やめまい・耳鳴りなどが頻繁に起こるようになる。不整脈が出たり、血圧が上がったりする。これは、もう体が悲鳴を上げているのである。「もう お前さんは無理なんだよ」と。

ところがプロと呼ばれる人たちでも、このことを理解していないことが多い。自分はまだまだやれると、感じてしまうのである。

結局、そういった思い込みが命取りになってしまう人が多い。勝てなくなっても、客となってホールにへばりついてしまうのだ。

老プロの行く末は悲しい。廃業して運よく就職できても、殆どの場合長続きしない。それまでパチ屋で勝手気ままに過ごしてきているから、なかなか他人と一緒に仕事することに馴染めないのである。

人と話すことに慣れておらず、なおかつ話しできるのがパチとスロのことだけだったとしたら…。社会復帰など、到底おぼつかないだろう。

それに、年金も支払っていないから、老後だって限りなく不安だらけだ。孤独に過ごしてきたパチプロは、社会的な地位もないに等しい。そして殆どの人が独身で一人暮らしでなのある。


■地獄行きの切符

その後のボクだが、スロットを打っているとしょっちゅう脈が飛ぶようになった。急に息苦しくなるから、脈が飛ぶとすぐにわかるのである。

酷い時は連続で脈が飛んだ。そんな時は胸ポケットからニトロペンを取り出して、「その時」に備えたものだ。

結局ボクが、あのニトロペンを使うことは一度もなかった。だが、もしも使うことがあったならば、ボクは今この世にいないかもしれない。

あの頃のボクは、胸ポケットのそれを保険だと思っていた。だが、よく考えてみれば地獄行きの切符を手にしていたのだろう。

ギャンブルに依存すると、つまらないものに命を預けてしまう。あの時のボクは、まさにそうだった。


最後に、どうしてもパチ屋から離れられないあなたへ

特殊子役やプレミアム演出に命を懸けて、一体何になるというのだろう。あなたはパチ屋という最悪の場所で、毎日命をすり減らしながら、数々の物を失い続けているのだ。

目を血走らせ、つまらない機械の動きに一喜一憂するのは、今日限りにすればいいだろう。何よりも勿体ないのは、あなたの命であり「あなた」という存在なのである。


終わり

ニトロペン

こんにちは、タカビーです。今日は少し、想い出話をしてみます。以下、たわ言モードですので、どうぞよろしくお願いします。


ニトロペン

IMG_2208_R今日、何気なくジャケットのポケットに手を入れたら、こんなものが出てきた。

ニトロペンは、言わずと知れた心臓の命綱。心臓発作が起きた時、舌下に入れて服用するものだ。

以前ボクは、これを持ち歩いていた。ボクにとって、こいつは苦い想い出の薬である。

曖昧な記憶だが、この薬は使用期限が短かかった。きっと薬としての使命があまりにも重大過ぎるので、そうなっていたのだろう。

IMG_2224_Rボクが断パチ・スロを始めたのが、2004年2月2日である。今日で、3239日が経過した。もうすぐ9年過ぎるが、おそらくこのニトロペンもその頃、医師に処方してもらったものだ。よく見ると使用期限が2005年9月と記されている。

あの頃ボクは、毎日のようにパチ屋でスロットしていた。いつ倒れてもいいように、カメラマンベストの胸ポケットにニトロペンを忍ばせて…。



■パチ・スロへの依存は 命がけ

ギャンブルに依存すると、いろいろなものを失う。金と時間はまず間違いないだろう。それと信用もがた落ちだ。

ところが意外なことに、健康について無頓着な人が多い。だが実際、人が思っている以上に、パチ屋通いは健康を蝕むのだ。

ボクの場合は、耳鳴に頭痛、肩こり・手のしびれがとにかく酷かった。パニック障害にもなってしまった。

今になってつくづく思うが、パチ・スロへの依存は命がけなのである。


■あなた死にますよ

ボクは今までに2度、パチ屋から救急車で運ばれたことがある。1度目に搬送された病院の処置室では、アル中で行き倒れになった汗臭いオッサンの横に寝かされ、その強烈な匂いにえづきながら点滴を受けた。

2度目に運ばれた病院では、若い医師からこう吐き捨てられた。

「あなた そんなことしてたら死にますよ」

あの医師はボクがパチ屋で倒れたときのことを話すと、軽蔑に満ちた顔で確かにそう言った。

だがあの時のボクは、安定剤を注射され病院のベッドで仰向きになりながら、こう考えていた。

「打ってたあの台 どうなっただろ?」

少なくともあの頃のボクは、医師の「死にますよ」という言葉よりも、自分が回していたマシンの方が気になっていたのだ。

続く

パチ・スロを嫌いになれるか?(恨むのが好ましくない理由とは)

こんにちは、タカビーです。

どんな場合でもそうですが、誰かを憎んだり恨んだりするのはかなりマイナスの行為です。実際、怒るという感情は、人間が最も多く心のエネルギーを消費するものではないでしょうか?

私も今までに誰かを憎んだり恨んだりした経験がありますが、今考えるとそういった感情はかなりの損失になったと感じます。


恨むということは かかわり続けるということ

誰かを恨んでいる時、その人の顔は醜いものです。特に、自分が嫌いな人を憎んだり怨んだりしている時は最悪でしょう。

嫌いな人物を憎んだり怨んだりするということは、いつまで経ってもその人とかかわり続けることを意味します。

誰だって嫌いな人のことは、「できるだけ早く忘れたい!」って思うもんじゃないでしょうか? 嫌いな人物とかかわり続けるのが、憎しみ恨むということなのです。



■恨むということは 自分を傷つけるということ

人物だけでなく、もしもあなたがパチスロを憎んでいるのであれば、そいつも早く忘れ去るということが一番でしょう…。

パチ・スロを恨むことが、克服のプラスになると私は思いません。ではなぜパチ・スロを恨むことが好ましくないのか?

まず第一に先日より申し上げているように、心の中で好きなものを恨むことなどできません。好きなものを恨もうとする行為は、自分に対して過大なノルマを課すのと同じです。

しかもこのノルマは、達成することが不可能に近いノルマです。そんな不安定な心理で克服していけるかどうか、甚だ疑問です。


■恨んだ代償は罪悪感と自己嫌悪

そしてもう一つ。恨んだ代償は自分自身に返ってきます。

なぜなら、恨んでいるにもかかわらず それに手を染めてしまったときのダメージは耐えきれないほど大きいからです。自分を責め、心の中はザクザクに傷つきます。

例えば、スリップした時のことを考えてみてください。自分が恨んでいるパチ屋に事実上屈服してしまったわけですから、途方もない罪悪感と自己嫌悪に襲われることでしょう。

自分を責めることは、自暴自棄になって言い訳を作る原因となります。パチ・スロを恨むことはやめて、淡々と行かないための対策を実行しましょう。

このシリーズ、今日でおしまいです。今日も最後まで、ありがとうございました。

パチ・スロを嫌いになれるか?(ギャンブルに依存する3つの理由とは)

こんにちは、タカビーです。。

今日は少し変わったお話から、始めたいと思います。


衝動は同じようでも…

ひとことでギャンブル依存とは言いますが、たとえ症状が同じでも依存者によってそれぞれタイプは異なるように私は感じます。

ギャンブルしないと…

イライラする
落ち着かない
焦燥感がある
虚しい
いてもたってもいられない…

依存症ギャンブラーなら、同じような衝動に悩まされると思います。ですが、そうなる原因といえばそれぞれ違っているようです。



■ギャンブルに依存する理由は3つ

おそらくですがギャンブルに依存する理由の一つは、習慣によるものです。パチ・スロに行くことが習慣化してしまったために、やらないで過ごすと大きな違和感を覚えたりするわけです。

実際、習慣性依存というものは大変厄介で、これを克服するためには、かなりの時間と労力を要します。

金銭に関する錯覚というものも、依存する大きな理由の一つです。例えば、負けた金をギャンブルで取り戻そうとするのは、依存症ギャンブラー特有のマインドです。一方で、手持ちのお金をギャンブルで増やそうなどと考えるのも、金銭に関する誤解と錯覚でしょう。

これらのマインドを払しょくするためには、いろいろな手順を踏む必要があります。それと、時間を稼いで依存の対象と距離を置くことが重要となってきます。

そして3つ目の理由…。それは嗜好ではないでしょうか? 私の場合も最初は嗜好が強く、パチ屋に行きたくて行きたくてウズウズしていました。心の底から、パチンコが好きだったのです。

私は高校2年生の時、生まれて初めてパチ屋に連れていかれました。あの時は手打ちの平台でしたが、座って打ち始め、一つ目のチューリップが開いた時、既に私はパチンコのとりこでした。あれ以来今日に至るまで、私はパチンコという遊戯が好きです。


■3要素の組み合わせで 依存のタイプは決まる

おそらくですがギャンブルへの依存というものは、習慣性依存と金銭に関する錯覚、それと嗜好、これら3つが組み合わさって出来ているのです…。

だから、たとえそのうちの一つを解消したとしても、おそらく克服するのは難しいと思います。

例えば、パチ・スロがあまり好きでもないのに、「時間を持て余した結果 パチ屋通いが習慣化してしまった人」などはどうでしょうか? そんな人に「嫌いになりなさい!」といったところで、変な顔をされるだけでしょう。

また、私は以前…

「こいつのせいで… こいつのせいで…」と涙を浮かべながら呟き、パチンコ台を殴り続けていた人を見かけたことがあります。そういった人は、それまでに多くのお金を失い、何とか取り戻そうと思いながらやり続けているのでしょう。

もう一ついえば、そういった人は「取り戻したら その時はキッパリやめよう」などと考えている場合が多いです。こういったケースは好きどころか、パチ・スロに対する憎悪の火が燃えています。

そして今日の最後に一つ…。前回も書きましたが、嗜好を変えるというのは、これら3要素の中で一番困難なことでしょう。というよりは殆ど無理なのではないかと私は感じます。

今日も最後まで、ありがとうございました。次回に続きます。

パチ・スロを嫌いになれるか?

おはようございます、タカビーです。今日からシリーズ記事ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

最近、掲示板で次のような書き込みを見ました。

11月28日 掲示板での書き込み

自分はパチンコ歴10年 だらだら続けてしまい気付けば辞めたいのに 辞めれない自分がいた 本当に死ぬほど辛かった これは依存症だと気付く ギャンブルに苦しむ人はほどほどにやる事は不可能らしい

一生やらない事が完治という事になると知った ギャンブルを嫌いになるしかないと考え やっとみつけました ギャンブルを嫌いになる考えを これで皆で必ず辞めましょう

パチンコとは?

怠け者製造機 人をうそつき、お金の汚い人間にしてしまう

大切な人脈 お金 かけがえな過ぎる時間を奪い たった一度の人生 全ての可能性を消しさるマシーン

甘い蜜で人を呼び寄せる世界で日本のみある凶悪なマシーン

常に心を迷わせ 病まし うつや燥を起こさせ 多くの人を殺してきた残虐的マシーン

とにかくパチンコ屋を見たら憎しみ恨んでください 皆さんの本当に大切なものを奪った元凶なのです やってる人全員が犠牲者です

とにかく嫌って嫌ってパチンコアレルギーになって下さい キモい臭いダサいんです

パチンコをやっていた時間全部を働いていたら一体いくら稼げて 貯金出来たでしょうか? そう働く事は本当はかけがえのない幸せな事なのです

どんな仕事でも良いから仕事に依存して下さい そしてパチンコアレルギーになれば その瞬間から果てしない幸せが待っています


さて、ここまで読まれたあなたにお尋ねしたいのです。「本当にそうなのでしょうか?」と。


嫌いになれるのなら苦労しない

そう思っている人は多い筈だ。かくいうボクだってその一人である。

ボクはギャンブル依存症を克服できたが、それは依存の対象であるパチ・スロが嫌いになれたからではない。というか、実に不謹慎な話だが、今もって心の中でパチ・スロのことを好きである。



■ボクが見てきた「業界」とは

あの業界のことなら、おそらく普通の人の数倍はよく知っていることだろう。そんなボクだから、今までに業界の卑怯なやり方やイカサマなどウンザリするほど見てきた。

・ストックを飛ばされたり
・出玉をちょろまかされたり
・サクラになれといわれたり
・理由もなく出禁にされたり
・食事休憩中に設定を下げられたり
・食事休憩中にクギをいじられたり
・言いがかりをつけられ 店員に殴られたり
・連チャン中に食事に行ったら電源を抜かれてたり
・爆連モード中に突然「閉店です」とやられたり


そういえば、こんなこともあった。

一発台の命クギに首つりになって店員を呼んだ時、やってきた店長は挟まっていた玉をしげしげと眺めながら、それを抜き取ると左肩のチューリップに投げ入れた。

文句を言うボクを無視して平然と立ち去っていく、あの後ろ姿に人情というものは全く見当たらなかった。あれから十数年という月日が流れている…。ボクは彼らの仕打ちを一生忘れることはないだろう。

だが、嫌いになれるものとなれないものがある。違った言い方をすれば、嫌いになるためには何か突拍子もないことでも起こらないと無理なのかもしれない。少なくともボクの場合、これらの出来事はパチ・スロを嫌いにしてくれることなどなかったのだ。

次回へと続きます。

今からでも 間に合います

おはようございます、タカビーです。

私の元へ「今からでも 間に合うでしょうか?」といった内容でメールされてくる方がいらっしゃいます。掲示板の新規参加者さんが、そういった内容の書込みをされるのもちょくちょく見かけます。

ギャンブルに依存し何十年もまともに暮らしていなければ、そりゃ誰だって不安だらけでしょう。なにしろ、今までオツムを使うことはギャンブルしかなかったってワケですから。

ましてや借金などの金銭問題や家庭内のいざこざを抱えていれば、尚更のことでしょう。

ギャンブル依存症は年齢を問いません。掲示板と私へのメールに限定すれば、最高齢の相談者は72歳の方です。逆に一番若い方は掲示板参加者の17歳だったように思います。

さて、72歳と17歳…。ギャンブルをやめる時期ということに限っていえば、どこが違うのでしょうか?


そのまんまで いいんですか?

よく勘違いされている方がいらっしゃいます。自らの依存に気付いてギャンブルをやめる時期が遅かったとばかり…

「これからでも 社会復帰できるんでしょうか?」とか「今からだと もう手遅れじゃないんでしょうか?」とか「この歳からじゃ もう治らんでしょう」などとおっしゃる人が多いです。

私はそういった人たちに聞きたくなるのです。

「だったら あなたはこのまんまでいいんですか?」と。



■改善は その時から始まる

確かに依存を克服するためには、ある程度の時間がかかります。しかしここで間違えていただきたくないのは、「克服しないと 改善が始まらないわけではない」ということなのです。

これはとても重要なことなので、もう一度書いておきます。

克服しないと 改善が始まらないわけではないのです。

このあたりを勘違いされている方が多いように感じます。

依存症ギャンブラーは、ギャンブルをしなくなった瞬間から全てが改善し始めます。何が改善し始めるかといえば…

257069843_8cecf66782_m・人格
・金銭問題
・対人関係
・家族関係
・時間管理
・印象
・信用
・金銭感覚
・モチベーション
・健康
・あなたの心

おそらく改善されることは、もっともっとあることでしょう。とにかくギャンブルの呪縛が解けた瞬間、全てのことが好転します。

だって、考えてもみてください! ウソをつかなくてよいというだけでも、正々堂々と胸を張って生きていけるようになりますよね。たったこれだけでも、一体どれほど精神的に楽でしょうか!

だから先の質問の答えは、「72歳であろうと17歳であろうと ギャンブルをやめる時期に関して いささかの違いもありません とにかくすぐやめること! それがベストです。」ということになります。

あなたの参考になれば幸いです。今日も最後まで、ありがとうございました。
●断パチ・断スロ達成日数をメールでお知らせ
基礎講座
●克服の基礎メール講座
基礎講座
●断パチ・断スロ お助けメール(朝)
お助け
●断パチ・断スロ お助けメール(夜)
お助け
●リンクはご自由にどうぞ!
リンクフリー
Archives
●ギャンブル依存症克服リンク集
リンク集
●メンタルヘルスのお友だち
TRE
●アーティストのお友だち
HRART3
●企業家、専門職、団体のお友だち
SENMONKA
●タカビーの大切な女性のお友だち
WOMEN
●タカビーの大切な男性のお友だち
MAN
記事検索
livedoor プロフィール
Categories
・SAGSトップページ
SAGSコミュニティー
伝言板
SAGS掲示板
掲示板1
断パチ・スロ3原則
断パチ3原則1
●依存症ギャンブラーが陥る2つの錯覚
依存症ギャンブラーの錯覚
●ブログのQRコード
QRコード
●掲示板のQRコードです
QR掲示板
@タカビーにメールする
Recent Comments
  • ライブドアブログ