ギャンブル依存症克服への道 〜パチンコ依存症・スロット依存症・断ギャンブル道場です!〜

ギャンブル依存症を治療し、快復・克服することは大変困難です。どうぞ遠慮なくご相談ください。ここでは、生活環境と生活習慣を改善してギャンブル依存症を克服する方法を、お金の専門家FPがご提供いたします。やめさせたいあなたも、ぜひどうぞ! 

保険屋時代 その8

こんばんは、タカビーです。

自民党が大勝して阿部内閣が発足したわけですが、私は大阪府民として一つ気がかりなことがあります。

それは「彼が 大阪へカジノを誘致しないだろうか」ということです。

先日、大阪市長の橋下氏が阿部総理の前で、大阪舞洲へのカジノ誘致を嘆願したそうです。その席上、阿部総理も熱心にメモを取っていたといいますから、ひょっとして前向きに考えているのかもしれません…。

それにしても、この橋下という人はしつこいですね…。よほどバクチ好きだと見えます。以下は、彼のカジノ議連に対する言葉です。

「ギャンブルを遠ざける故 坊ちゃんの国になった 小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね 全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」

こういったオツムの人が大阪市の市長なのです。そしてその手下が知事。彼らの一味である泉佐野市長と西成区長が、泉佐野市と西成区にカジノを誘致するよう求めているというのですから、どうにもなりません。

いろいろなことに失敗し、数々の批判を浴びて失脚した民主党政権ですが、橋下氏のカジノ特区構想には最後まで首を縦に振りませんでした。あれは大阪にとって、幸いなことだったなと今になって感じます。

さて…。阿部政権は、カジノについてどういった姿勢で臨むのでしょうか? 大阪にカジノを作っちゃうのでしょうか? またパチンコ業界をこのまんま温存するのか、それとも一定のけじめをつけるのか? このあたりにも注目です。


悔しさゆえに堕ちるギャンブラーたち

パチンコして負けると悔しい。きっと誰でも経験あることだろう。

ところがギャンブルというものは、こういった人間の心理を上手く利用して作られている。悔しければ悔しいほど、深みにはまっていく仕組みが存在するのである。

ボクは今までに、この悔しさの亡霊に取りつかれて身を滅ぼした人を何人か知っている。

涙を浮かべてハンドルを握り締めながら、左手で台を叩き続ける老婆がいた。台のガラスをたたき割って店を飛び出し、店員に取り押さえられて喚く女もいた。

そういった人たちに共通の特徴が一つある。それは、泣こうが喚こうが台を叩こうが、また次の日には台と向き合っているということである。

負けの悔しさはストッパーになりはしない。そして取り戻したいという憎悪の火が燃え上がれば燃え上がるほど深みにはまり、ギャンブラーたちは破滅していくのである。

だが負けるとひとことで言っても、いろいろな負け方がある。そもそもギャンブルに勝ち負けなどないというのがボクの考えだが、それはさておき、「誰かにカマ掘られたときほど悔しいことはない」というのがホンネだろう。



■あるホステスの破滅

あの頃、ボクが通っていた店には出勤前のホステスさんが多かった。出勤までの暇つぶしでパチ屋に居るホステスさんは、世間にはかなりいることだろう。まあ彼女らにしてみれば憂さ晴らし程度なのだが、中にはとことんハマってしまう子がいるのである。あの店の常連だった「リカ」もその一人だった。

リカは普段真面目な子で、お店での評判も決して悪くなかった。パチ屋で顔なじみの客を店に連れてくるという、一石二鳥の一本釣りも得意だった。お店は商売熱心なリカを、ありがたく思っていたことだろう。

実はこのボクも、リカに一本釣りされたくちである。人情味のあるママさんを気に入ったこともあって、リカがいるお店には何度も通ったものである。

ところが、このリカには大きな問題があった。というか、今考えてみれば当時彼女はかなり酷いパチンコ依存で、既にどうしようもなくなっていたのだと思う。

普段大人しく打っているときは別段問題ない。ただ単に他の客同様、ヤラれているだけのことである。ところが、時として彼女の悪い癖が出ることがある。それはカマを掘られた時だ。

一発台好きの彼女は、いつもタンブラーかホットラインとかいう機械ばかり打っていた。だが、彼女が見切りをつけた台に他の客が座ると、突然態度がおかしくなるのである。

急にソワソワしだし、あたりをキョロキョロし始める。そして自分が座っていた台の方を、何度も何度もチラ見するのである。

何度か彼女から話を聞いたことがあるが、自分の座っていた台をカマ掘りされるとはらわたが煮えくり返るくらいムカつくらしい。カマ掘りされると、彼女は別人のようになった。

そんなときの彼女は、自分がプレーした台すべてにライターを置いていく。その理由は一つ、他の客にカマ掘りされないためである。そうなると、それらの台が気になって気になって仕方がなくなる。出勤の時間も頭の中からぶっ飛び、それらの台を回り延々と金を使い続けるのである。

ところがそんな彼女も、ある日を境にプツリとそのホールに来なくなってしまった。しばらくしてリカが勤めていたお店に行く機会があったのでママに聞いてみると、次のようなことだった。

「リカちゃんね 給料前借して 服やバッグ全部質入れしてね… サラ金から追いかけられまくって どこかに逃げたらしいわ いい子だったんやけどねぇ」

ママはため息をつきながら、ボクにそう話した。

その後風の便りで、リカが隣町のパチ屋に居たという話を聞いたが、それがリカの噂を聞いた最後だった。

パチンコへの依存は、善良な人物の人格を落とし、人相さえも変えてしまう。失踪する直前のリカがそうだった。眉間に縦の皺が入り始めていたし、「あの真面目なリカが 枕営業した」という噂さえ聞いたものである。

繰り返すが、パチンコへの恨みも金への執着も、全て破滅するスピードを速めるだけなのである。難しいことだが、そういったことは時間をかけて忘れ去るより方法がないのだろう。

続く

保険屋時代 その7

こんばんは、タカビーです。

最近、「アベノミクス」という造語が氾濫していますが、ようは阿部新総裁が掲げる新経済政策を称して、そう呼ぶようです。

金融緩和と公共事業投資・インフレ促進が売り物の経済政策と見ましたが、どうも悪い予感がします。アベノミクスを簡単に、そう! かーんたんにいうならば…

「物の値段が上がって 雇用が生まれない しかも賃金上昇も見込めない」ということでしょう。これから先日本という国は、どうなるのでしょう? ますますわからなくなってきました。おそらく今まで以上の二極化が進むのでしょう。

それと…

何だか巷では、国防を言い訳に「軍備拡張」が正論になりつつあります。開戦しちゃえばいいとか、核軍備とか、好戦的な人も目に付くようになりました。

ボクは半世紀以上前に犯した過ちを繰り返す道に、今この国はドップリと浸かり始めているような気がします…。

さて、今日は保険屋シリーズその7をお送りいたします。


パチ屋で誰かを呼ぶとき

パチ屋の中で誰かを呼ぶとき、幅を利かせているのがいわゆる「代名詞」である。

つまり、「オニイサン オネエサン おっちゃん おばちゃん」などといった言葉である。

それはなぜか? 簡単な話だ。殆どの人が知り合いの名前と素性など殆ど知らないのである。

ボクも経験があるが、人間というものは名前で呼ばれないうち呼ばないうちは、本当の付き合いが出来ていない。つまり、自分は相手のことを信用していないし、相手だって自分のことを信用していない、というわけである…。



■賭場でのルール

実はこういったハナシは、パチ屋以外の世界でもある。特筆すべきなのが男女の世界である。

心を許せない男女はお互い名乗ろうとしない。このことは、それなりの遊びを経験した人であれば納得できることだろう。

だが男女以外の世界で、そういったルールが存在する場所がいくつかある。一つは酒場である。酒を帯びれば、誰の言うことも信用してはならない。というのがその本音というか、酒場でのルールであろう。

さて、ここで話を博打のことに戻そう。

バクチは現金前払い。それは今も昔も変わらない。それは最低限のルールなのである。その理由としては、そもそもバクチ打ちなど信用などできないということもあるだろうけれど、「勝負が終わった後は 負けを支払う気が失せる」ということに起因しているのではないだろうか。

冷静に考えればわかるが、負けた後に借りたお金を返す気など失せていて当然である。だからこそ、賭博場でのルールは、いつも「現金の前払い」なんだろう。そしてもう一つ…。博徒に金を貸すのは絶対のタブーなのである。


■踏み倒しのK

ところがどっこい、そんなことはお構いなしでだれかれかまわず金を借りまくる輩がいる。ボクが通っていた店では、Kがそうだった。

突然、呼び止められ喫茶店に連れて行かれる。そしてそこで彼が話すのは、こういった内容だ。

「なあ 悪いけど5万円ばかり貸してくれや 今ワシ懸命に234番追ってるんや 吹いたら返すから なんとか頼むわ」234番というのは、フィーバー機である。そう回りもせず鳴かず飛ばずの台である。

そういった台に勝負する金を、平然と他人に貸せというのがこういった輩の常だった。そして貸さなければ凄んだり嫌がらせをしたりするのである。

その筋に少しばかりつながりがあるというのが、Kの強みだった。だから彼はそのことをちらつかせ、誰にでも金をせびった。

勿論だが、返す気など全くない。というか、ボクはそれまでに返してもらった人を知らないのである。金を借りた人物とホールで隣通しで座っても、全く意に介さなかった。まるで金借りマシーンである。

そういった蛆虫のような人物が出入りする場所に、ボクは毎日のように通っていた。 

続く

保険屋時代 その6

こんにちは、タカビーです。

今回徒然に書いている記事は、そもそもボクが損保会社の営業社員だった頃の想い出話を綴っているものです。

時代でいえば、1980年中頃から1990年前半にかけてといったところでしょうか。ちょっと不謹慎な話で恐縮ですが、当時流行っていたパチンコ機は平和のブラボー・レーザースペィシーやスーパーコンビ、スロット機ではヤマサのパルサーXXかユニバーサルのトロピカーナが全盛の頃でした。

・一発台
・フィーバー機
・電役機
・権利物
・羽根物
・アレパチ
・スロット機

パチ屋にはこれらの種類の機械が並んでいて、パチンコ産業がどんどんと成長し続けた時期でもありました。おそらくですが、依存者が急激に増えたのもあの頃でしょう…。


80〜90年代のパチ屋は

そういえばその頃、ボクは行きつけのホールで「保険屋」というあだ名で呼ばれていた。下町のど真ん中、しかも商店街に近いとあって、そのホールに出入りしていた連中は十人十色だった。

・店舗をいくつも持っている質屋のボンボン
・なぜか昼間でもいるサラリーマン
・腐るほど金を持っている未亡人
・パトロン待ちのホステス
・幼稚園送迎バスの運転手
・有名割烹店の板前長
・年金暮らしの夫婦
・呉服屋の店主兄弟
・不動産屋の大将
・Δ猟翰人
・居酒屋の店主
・パチ屋の店員
・寿司屋の倅
・女子高生
・愛人さん
・美容師
・ホスト
・税理士
・公務員
・ダフ屋
・ノミ屋

これから、それらの人物の中で印象に残っている人について書いていきたいと思う。



■腐るほど金を持っている未亡人

あの店の常連だったオバサンに一人の未亡人がいた。驚くほどの資産家だと聞いたことがある。何しろ、持ち物と服が違うのである。

40過ぎたオバサンが、パチ屋へシャネルのスーツを日替わりで着てくるものだから、いつも他の客にバカにされていた。バッグはもちろんヴィトンで、靴はなんだかかわいい蝶飾りが付いた、高そうなやつばかり好んで履いていた。おそらくフェラガモだったんだろう。

そのオバサンがまたなんというか若い子が好きで、台など関係なく若い男の子がいると遠慮なく横にベッタリと座って体をすり寄せた。店内がガラガラでも、お構いなしである。ボクも何度かヤラれた。横に座られるとプワゾンだかなんだかしらないが、どぎつい香水の匂いがプンプンした。

ある日のこと、同年輩の顔見知りの会社員がお茶に誘われたらしい。そしてそいつもノコノコと付いて行ったというのだから、もうホールの常連たちは興味津々である。

さぞかしたくさんの貢物でも頂戴したのだろうとボクが彼からあれこれ聞くと、パチ屋の中ではイジイジしていても、喫茶店では厚かましく喋るオバサンだったらしい。

彼は「付き合いせえへん?」というお誘いを辞退したらしいが、その途端にプイと席を立ち、結局お茶代もワリカンだったという。余りのお粗末さに、皆で笑い転げたことを思い出す。


■なぜか昼間でもいるサラリーマン

それとあの頃は、なぜか昼間でもスーツにネクタイ姿の会社員がけっこうホールには居たように思う。

ボクが勤務していたF火災には、かなりたくさんの強者がいた。出禁を経験した奴が、ボクを除いて少なくとも2人はいたからね。保険の稼ぎよりもパチのアガリの方が多い奴も何人かいた。

悲しい話といえば、一人の中年サラリーマンのことを思い出す。彼はたしか、自動車ディーラーの社員だったと思う。

彼は、ボクが出入りしていた店の常連客だった。ある日のこと、彼がボクの横に座ってポツリと言った。

「キミ まだ若いやないか こんなことしてたらアカンで」と。しかしながら彼はボクにそう言いながら、いくらヤラれてもホールを離れなかった。

そんな彼もいつしかその店に来なくってしまった。しばらくして風の頼りに聞いた話では、会社の金を使い込んでスロットをしていたのがばれて解雇されたとのことだった。

あの頃からパチ屋というところは、寂しい人の吹き溜まりだったように思う。そしていつも、なにかしら悲しい話が有った。


続く

保険屋時代 その5

新年、あけましておめでとうございます。

旧年中は小ブログをご愛顧いただき、まことにありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いします。

年末から新年にかけて時間がなく、ブログも掲示板もちゃんと手を入れることができませんでした。謹んで、あなたにお詫び申し上げます。

それと掲示板参加者の皆様にお願いいたします。どうかメインスレッドに勝手な書き込みをしないでください。

メインスレは、新規参加者さんの参加表明と管理者への連絡専用となっています。何卒ご理解くださいませ。

さて…

新年はおめでとうと言うのが習わしですが、きっと年末から新年にかけておめでたいどころか悲観に暮れている方もいらっしゃることでしょう…。

ギャンブル、特にパチ・スロに、新年も何もあったもんじゃないです。賭博は生活するのに必要なお金を、容赦なく奪い取っていきます。依存症ギャンブラーにとっての新年は、ただ単に持て余す時間が多くなるだけでなく、一層劣悪なボッタクリ状態で金を失うことに他なりません。

これから3連休の方も、さぞ多いことでしょう。あなたが無事に過ごされることを、心よりお祈りしています。

今日はちょっと保険屋とは違う話になりますが、余興としてお読みいただければ幸いです。

プロの掟とは

パチプロなどと言うと、世間では少しカッコよく聞こえたりするものである。ちょくちょくある話だが、真面目に生きているということを照れるというか恥ずかしく感じている世代や時代があったりするのである。

かくいうボクもそうだった一人である。憧れる世代どころか、かなりの歳のオッチャンになってからもそう思っていた。ようはアホだったのである。

プロというと聞こえがいいものだ。だが、現実は違う。プロとは、そんなにきれいなものではないのである。ましてや、憧れに値するような代物では断じてない。

彼等の目的とはただ一つ。ホールから金を持ち帰ることである。手段はどうでもよい。

そしてそれが唯一、プロがプロであるための掟でもあるのだ。



■つけるべきケジメ

前回の続きだが、その店の自称プロSは組んでいる店長の異動という憂き目に遭い、全く稼げなくなってしまった。

なにしろそれまではといえば、座っているスロット台は毎日設定6。一発台はといえば一味が、ユル釘台のたらいまわしか放り込みで抜くといった塩梅だった。

そういった美味いハナシが新しい店長が来るというだけでおじゃんになるわけだから、連中にとって一大事である。しかしながら変な話、ああいった連中の筋道をつけるということならば、次のような手順を踏むのが当然である。

1.それまでの店長に 顔つなぎをしてもらう

2.そのうえで きちんとケジメをつけて挨拶をする

3.それなりの手土産を持参する(もちろん現金)

4.新しい店長と「新しいルール」を決める

5.交渉成立

だがSは、そのことをちゃんとしなかった。


■イカサマプロの末路とは

Sがそうしなかった理由については、いろいろなことが憶測できる。まず一番可能性として高いのは、それまでの店長が不祥事などの理由で飛ばされるか解雇された場合である。そういった場合、後任の店長と顔つなぎなどできるわけがない。

次に考えられるのは、(かなり可能性が低かったが)後任の店長が真面目な人物であった場合だ。「プロと組んで一儲けなど とんでもない!」などと思う人であれば、交渉もなにもあったもんじゃないだろう。

だが後程聞いた話によれば、どうやらSは店を舐めきりちゃんとした手順も踏まずにコトに及んだようなのだ。ではなぜボクが次にきた店長が、真面目な人物でないと断言できるのか? それはその店長も、他の一味と組んでいることを知っていたからである。

店長が入れ替わってしばらくしてから、Sはスロットのコインが入っている保管ケースからコインを抜き取っているところを、モロに店長に見つかったしまったらしい。

そしてそれ以来、Sは出禁になったのである。もちろんだが関連していた店員は飛ばされ、一味も出禁となった。

事情をよく知る店員から話を聞いたが、Sはそれまでも保管ケースからコインを抜き取って、換金していたという。インチキとかイカサマを通り越して、完璧な窃盗である。

で、そのパチンコ店がその後どうなったかだが、平和を取り戻したように見えたのも、ほんのつかの間だった。

また別の蛆虫がやってきて、その店を取り仕切るようになったのである。やはりモーニングといった不公平な利益分配システムには、大きな欠陥があったといえるだろう。

今思えば、あの頃ボクが出会ったプロと呼ばれる連中は、皆腐りきったやつばかりだった。語弊があるといけないので書いておくが、その後にボクは卑怯な手段を使わずに正々堂々と稼ぐプロにもたくさん出会った。

そういえば、いろいろな人物と人間模様に出会ったのもあの頃だ。次回はその頃ボクが出会った、悲しい人たちについて書いてみたい。

続く

保険屋時代 その4

こんばんは、タカビーです。

遅い時間ですが、保険屋時代、続きです。


忙しい奴ほど怪しい…

いろいろな仕事を経験してきたボクだが、営業職というのは本当にくせものだと思う。自己管理が、とにかく難しいのである。

自己管理が難しいとは、どういったことか? それは、ついつい自分に負けて仕事をサボってしまうということだ。

そしてサボることが常習化し始めると、もう手が付けられなくなる。かつてのボクもそうだったが、忙しいふりをしてとにかく早い時間から社外に出た。

勿論、行先はパチ屋である。忙しい奴ほど怪しいというのは、まず間違いないと思う。



■日課はモーニング取り

当時のボクは朝礼が終わると、さも忙しそうにふるまい、アタッシュケースをたたんで外へ出た。目的は一つである。行きつけのパチ屋に行って、モーニングにありつくことだった。

モーニングとは文字通り朝一サービスで、店側があらかじめパチスロ機にボーナスを仕込んでおく方法のことである。今ではモーニングを仕込むことが禁止されている。たが、当時はモーニングを入れているパチ屋が多かった。

モーニングのある店の前には必ず行列が出来る。とにかく千円分のコインを買ってモーニング台にありつけば、4千円強が儲かるからだった。

並ぶメンバーは毎朝殆ど同じだったが、古参のメンバーほど偉そうにしていた。メンバーの中には主婦や老婆なども交じっていたが、いかんせんパチスロというものは絵柄を揃えないとどうにもならない。

古参のメンバーの中で、その店を仕切っている自称プロのSという人物がいた。彼は主婦や高校生に小銭を掴ませ、モーニング台のアガリだけで喰っていた。


■汚いプロの世界

思えばボクは、実力がものをいう外務社員の世界から逃避しながら、同じような実力の世界であるパチプロに憧れていた。

しがらみを持たず自分の腕一本でメシを喰える彼らに、ボクは一抹の不安も待たず傾倒していたのである。

だがそんなボクも、次第にパチプロに失望するようになっていった。なぜなら、パチプロの世界がどれほど汚いものか思い知ることになったからだ。

その店にいたIというプロは店長と組んでいた。そして彼だけ、通常は賞玉が1個のフィーバー機を、賞玉15個に仕組んでもらっていた。それだけで彼は、毎日日当2万円を手にして帰った。

先に書いた自称プロのSだが、実際はプロどころかとんでもないイカサマ野郎だった。

彼も当時ボクが通っていたパチ屋の店長と組んで、抜いていた。

・一発台の放り込み
・高設定台のたらい回し
・コイン隠し

とことんやっていた彼だが、ある日組んでいた店長が異動した。それから彼の行動がエスカレートした。それまでのように稼げなくなったからである。

そしてそれから数日が経過し、事件が起きたのだ。

続く

保険屋時代 その3

こんばんは、タカビーです。

今夜も前回の続きです。


社内営業って

ここで当時の裏業界用語について、少し書いておこう。

社内営業とは一体何か? 社内営業には、主に2種類の方法があった。そのうちの一つは担当マネージャーに媚を売り、死骸漁りをすることだ。死骸を拾うことだって、立派な営業活動だったのである。

損保業界だけかもしれないが、辞めた外務社員が残した契約のことを死骸と呼んだ。また外務社員が会社を去るときは自分の契約を売ってからやめるのが常識で、だいたい収保額の1割くらいが販売額の相場だったように思う。

誰かが辞めれば真っ先に死骸にありつけるのは、一番実力がある社員だった。そして一番収保額が少ない社員には、手数料が少なく遠方の契約しか回ってこなかった。

だが社内営業の上手なやつは、巧みにマネージャーにすり寄り、おいしい契約をものにした。



■一本釣り

社内営業のもう一つの方法とは、一本釣りである。つまり大きな契約を、一本釣りするわけだ。

例えば自分が心安い銀行支店長と、支店のマネージャーを取り持つことが専門の外務社員もいた。簡単な話、支店の数字がどうにも足りない時、銀行の支店長に耳打ちして銀行の火災保険を融通してもらうのである。

当時から住宅物件の長期火災などは、金額が大きいので一発で数字を埋めるために重宝されていた。そして銀行はといえば、その見返りに保険会社から通知預金を頂戴するという寸法だった。

そういった社内営業をする外務社員は、人けのない時にマネージャーからそっと呼ばれ、銀行から回ってきた火災保険の扱い者となるのである。長期火災の保険料は高額なので、かなり大きなリベートを得ることができた。1件で10万を超す手数料が動くことさえあった。

そして契約をまわしたマネージャーが、極秘で外務社員から接待で奢りを受けるというのが当時では主流だった。今ならば、こういった手法はかなり大きな問題だろう。だが当時は、常識として通用していたのである。


■命がけだった生保レディー

先の記事でボクは生保レディーの枕営業について書いた。今では、とんでもないことかもしれないが、当時はやっている社員が多かった。それほどまでに生保の世界は厳しく、彼女たちは命がけだったのである。

ボクが枕営業のことを知ったのは、一つのきっかけがあったからだ。

とある日、ボクは行きつけの喫茶店でお茶を飲んでいた。すると一人の中年女性がボクの隣に座ると、名刺を差し出して挨拶した。以前から見かける顔だったが、彼女は同じビル内にある大手生保会社のセールスレディーだった。

当時、損保会社の外務員と生保レディーが協力し合うことは多かった。ボクはその人から「一緒に組まへん?」と誘われ、互いにお客さんを紹介し合うことにした。

その人は当時業界のことに詳しく、ボクはいろいろなことを教えてもらった。枕営業のこともそうだった。

ある日のこと彼女が枕営業という言葉を口にしたとき、ボクは何のことですか?と尋ねた。すると彼女は「タカビーちゃん 枕営業も知らへんの?」と半ば呆れた顔でボクを見つめ、タバコに火をつけた。それから彼女は、懇切丁寧にそれがどういったものか説明してくれた。

「あんた 生保の社員がなんで女ばっかりなんか 知らんのん!」

ポカンとするボクに彼女は次のように続けた。

「女の武器は色気なんよ それでお客さんを落とすわけよ」

「契約の為にお客さんと寝る社員は多いわ もっともアタシはやったことないけど…」

何でも話を聞くと、生保レディーは契約がそこそこ取れるようになるまで、とにかく出費の連続なのだという。仕方なしに枕営業する人が多かったのだろう。今思いつくだけでも、次のような出費があった。

・客への心づけ
・紹介手数料
・誕生日プレゼント
・成約お礼
・招待チケット
・販促品
・通信費
・衣装

当時、生保の支社に行って、ちょくちょく朝礼に出くわしたことがある。彼女たちが座るテーブルの上には所狭しと、いろいろな販促品が置かれてあった。また、共用の公衆電話があったことも思い出す。なんと営業で使う電話代まで自分持ちだった。

つまり営業に関するものは全て「自前」だったのである。そこにはキレイごとでは済まない、命がけの世界があったように思う…。

ボクは損保出身だが、生保に比べりゃまだまだ甘い世界だった…。

続く

保険屋時代 その2

こんばんは、タカビーです。少し更新が途切れました。4日間もブログを更新しないなど、今までにはなかったことです。

また今夜もお付き合いいただければ嬉しいです。


数字ってなんだ?

当時、ボクがいた保険会社は完全実力主義の世界だった。というか当時の損保業界は実績さえあげていれば、それで何もかもが許された世界だったといえる。

社内営業しょうが値引きしようが、はたまた保険料を立て替えようが、たとえ出社しなかったとしても、たった一つのルールさえ守っていればなんということはなかった。

先の記事でも書いたが、そのルールとは「数字」である。では数字とは何か? それは月末の社内会議におけるノルマの数字=額だった。

支店に居るマネージャーから課されたノルマを達成する。これが唯一、我々の義務だったといえる。また逆にいえば、それさえ達成していれば、何をしても文句など言われることもなかったのである。

ボクがいた支店は大阪市内にあったが、ちょうど道路を挟んで向かいはパチンコ店だった。さすがにボクはそこに出入りしなかったが、勤務中に堂々とそのパチンコ店で時間を潰す外務員も多かった。



■保険外務員の1日

あの頃の外務社員は、朝のひとときをお気に入りの喫茶店で過ごした。ゆっくりとコーヒーを飲んでスポーツ新聞を広げ、仲間たちとおしゃべりをしてから、おっちらと腰を上げるのである。出社するのはおおかた10時くらいだったろうか。会社の始業時間など、有って無いようなものだった。

保険料の入金がある時だけ、会社に顔を出す人が多かった。そして午前中に入金業務を終えると、殆どの社員がいそいそと姿をくらました。

彼等の行き先の多くはパチ屋だった。仕事など月末に集中してやればよいので、普段の日は遊んで暮らしている社員が多かったわけだ。

今考えてみるとこのボクも、ああいった職場環境で悪いことばかり覚えてしまった。営業で成功するには、自己管理が大切だと今つくづく思う。


■数字は命

ボクが入社した時のマネージャーは、数字を作るためならなんだってやる男だった。またボクらにどんなことでもやらせた。支店の目標を達成するためなら、手段を選ばないガチガチ人間だった。

契約の先食い(来月の契約を早く締結すること)を強制したり、自分のポケットマネーを差し出して保険料を平気で立て替えた。今じゃ考えられない話である。

営業会議の席で、数字達成が困難な人物がいれば平気で罵った。社員の中には会議中に泣き出す人物までいた。このボクも一度、「数字が作れないなら死ね!」と言われたことがある。

悔しい思いをすれば、なにくそと頑張るのが当たり前なのだが、あの当時のボクは一層仕事をしなくなった。会議が終われば、すぐにパチ屋へ出かけた。


■何もかもがいい加減だったあの頃

当時、ボクがいた損保業界もひどいものだったが、まだまだ上には上がいた。その業界とは、募集取締法で統治されていなかった共済である。

そのいい加減さと手ぬるさにかけては、並みの業界じゃなかっただろう。彼らは当時禁じられていた値引きなどお茶の子さいさいでやってのけたし、金をばら撒いて契約を釣るなど日常茶飯事だった。だから競合しても相手が共済だと、まず勝ち目がなかった。

ボクは共済のやり方に何度か驚かされたことがある。契約者に泣きつかれて、事故後に保険を締結するなど当たり前に行われていたからだ。代理店の手数料も共済は格段に高かった。火災共済など、3割から4割の手数料というのが当時の相場だった。

今考えてみれば、どの業界もひどいものだった。知り合いの銀行員も勤務終了後近くの雀荘で、高額の賭け麻雀をやっていた。今なら内部告発されて、チョンだろう。

生保業界では、もっと熾烈な数字管理が行われていた。ボクは頼まれて自分の名前を貸したことがあるし、その天ぷら契約が失効した時自宅に生保会社から電話してこられたりしたこともある。

怪訝そうな声で「なんでそんなに高額な契約を結ばれているのですか?」と。

話には聞いていたものの、本当に生保レディーの枕営業があることを知ったのもあの頃だった…。

続く

保険屋時代 その1

おはようございます、タカビーです。

またまた今日から、想い出話を書いてみようと思います。

ボクは今までいろいろな職業・バイトを経験してきました。ちなみに生まれて初めてのバイトは、高校1年の時に通っていた英会話スクールのビラ配りでした。

なんだって?・某自動車会社社員
・某保険会社の外交員
・ドライバー
・倉庫作業員
・自動車検査員
・整備工
・家庭教師
・焼き鳥屋の店員
・理髪のモデル
・某会社取締役
・チラシ配り
・荷役
・社内SE…etc

カッコいいものでは、テニスのインストラクターなんかしてました。ですが、逆に惨めなものではサンドイッチ・マンなんかもあって、あれはひどかったなぁ…。とにかく通行人は看板を見るのでなく、みんなジロジロとボクを見ているわけですから(汗

そしてバイトの期限が終わってヤレヤレと思っていたら、次に客引きやらないかと誘われて(笑 いわゆるポンビキです(爆

ですがいろいろな職歴の中で、良くも悪しくも一番印象に残っているのは「保険の外交員」だったと思います。以下、またまたたわ言モードでよろしくお願いします。


様を付けりゃ いいってもんじゃない

突然、変なハナシだが「お客さん」と「お客様」は違う。ボクの認識だが、他人の名前に「様」を付けりゃいいってもんでもないんだな。「様」は付けていい時と悪い時がある。

例えば、あなたが病院に行ったとしよう。待合で長時間待たされた後に呼ばれたのが、○○様だったらどうだろう? 違和感を覚えないだろうか?

まあこれはボクの考えだが、病院に来ている患者さんは仕方なしに来ている場合が殆どだ。好んで来ているわけではない。

もう一ついえば、喜んでお金を支払っているとはいえないだろう。病気になったから、仕方なしに治療費などを支払っているのである。

おそらくだが、名前に「様」を付けるというのは商売人、もしくはサービス業だ。提供した商品やサービスの対価としてお金を頂戴するからこそ、お客「様」なのである。

では、保険の場合はどうだろうか? おそらくだけどボクの場合、保険屋さんにタカビー様などと言われたら、背筋がゾクリとするような気がする。

だって保険のお客さんって、喜んで保険料を支払っているだろうか? ボクは、とんでもないと思うんだな…。

ボクは保険屋時代にこのことを、コテンパンになるほど思い知らされたってワケだ。



■保険屋時代

この記事を読んでいるあなたもそう思っているだろうけれど、保険料というのは本当に馬鹿馬鹿しい出費である。なぜなら、何らかの事故や障害などが起きない限り、支払ったお金が生きないのである。

つまり平穏無事に過ごしている限り、支払った保険料は全部ムダ銭というわけだ。ここで、「満期時や一定期間経過後に 払い戻しがある契約もあるじゃないか!」とおっしゃるあなたへ。

そういった払い戻し分のお金は前もって、契約者のあなたが積み立てたものだ。その分を上乗せして、保険会社は保険料を決定しているのである。

ここでボクが何を言いたいか。それは、多くの文系の学生が就職を希望する保険業界だが、その内情はというと、「かなりドス黒く ダーティーなものだ」ということだ。客からのイメージも決して良いとはいえないだろう。

今回はボクの備忘録も兼ねて、保険屋時代のことについて書いていこうと思う。


■何でもあり ただし

意見は様々だろうが、ボクは構造改革は失敗だったと思っている。自民の幹部もそれらしいことを言っているわけだから、まあ彼らも大筋で失敗だと思っているんだろうね。だが、やったこと全てが悪かったとはいえないだろう。

例えば不良債権問題解決やコンプライアンスの徹底などは、構造改革上で行われた数少ない善行ではなかったかと思う。

ボクが保険会社の外交員になったのは20年以上前だが、あの頃の保険会社は本当にすごかった。ひとことで言えば、何でもアリだった。コンプラなんて微塵もない時代だった。

・保険料の立て替え
・天ぷら契約(架空契約)
・領収証偽造
・等級温存
・印鑑偽装
・事後契約(事故後保険加入)
・なりすまし
・電話営業
・枕営業
・社内営業
・プレゼント営業
・お誕生日営業

保険料を呑んじゃう豪傑までいたもんだ。(保険料を着服し 事故があったときは外交員が命がけで保険金を支払う)

ただし、そういった業界ではあったが、一つだけわかりやすい鉄壁のルールが存在していた。それは「数字」というものである…。

続く

ニトロペン その2

こんにちは、タカビーです。

前回の続きです。


まっぴらごめんだ!

2055871597_e61286fd61_mパチ屋で倒れたあのとき、ボクはもうろうとする意識の中で確かにこう思っていた。「ここで死ぬのは嫌だ まっぴらごめんだ」と。

担架で救急車の中に運ばれると、真っ先に血圧を測られた。「こりゃひどいね」と隊員が顔をしかめた。後で聞けば、上が240くらいあったらしい。

ところがボクは安定剤を注射されて落ち着くと、医師の制止を振り切って病院を後にしたのだ。そしてパチ屋に戻った。出したコインが残っていることを確認し、それから閉店まで何食わぬ顔をしてリールを回し続けたことを思い出す。



■パチプロの場合

ここで少し、パチ(スロ)プロの話をしよう。

パチプロは確かに気楽な稼業である。なにしろ、人間関係というやつが殆ど存在しない。しかも自由出勤に日銭ときている。

ところが稼働している場所はといえば、かなり劣悪な環境である。聞きたくもない音楽がガンガンかかっているし、ウザい場内アナウンスが流れまくる。

それにホール自体が煙の城といえるほど、喫煙者が多い。副流煙も何もあったもんじゃない。ある意味、喫煙はパチ屋のシンボルというか一部分になっている。

若くて元気なころは平気でも、長年ホール通いを続けていれば、あちこちガタピシとなってくるのは当然だ。


■老プロの行く末とは

以前の記事にも書いたが、パチにしてもスロにしても、プロの選手生命は短い。パチンコでせいぜい40半ばくらい。スロットだとおそらくだが、もっと短くて30代が関の山だろう。

スロットの場合、プレーし続ける限り左手は宙に浮いたままだ。しかもその掌の中には、ずっとコインが握りしめられている。

パチスロのコインは、1枚がおよそ5グラムだといわれている。それを数十枚掴んだままプレーするわけだから、常に左手には100〜200gの負荷がかかっている。

しかも通常の場合、レバーを叩くのは左手の仕事である。だからこの重労働が原因となって、「スロット肩」になる人が多い。

まず肩甲骨の下にしこりが出来る。これが強烈なコリとなって、頸にまでコリが出始める。そして手がしびれたりするわけだ。

その状態を続けると、やがて頭痛やめまい・耳鳴りなどが頻繁に起こるようになる。不整脈が出たり、血圧が上がったりする。これは、もう体が悲鳴を上げているのである。「もう お前さんは無理なんだよ」と。

ところがプロと呼ばれる人たちでも、このことを理解していないことが多い。自分はまだまだやれると、感じてしまうのである。

結局、そういった思い込みが命取りになってしまう人が多い。勝てなくなっても、客となってホールにへばりついてしまうのだ。

老プロの行く末は悲しい。廃業して運よく就職できても、殆どの場合長続きしない。それまでパチ屋で勝手気ままに過ごしてきているから、なかなか他人と一緒に仕事することに馴染めないのである。

人と話すことに慣れておらず、なおかつ話しできるのがパチとスロのことだけだったとしたら…。社会復帰など、到底おぼつかないだろう。

それに、年金も支払っていないから、老後だって限りなく不安だらけだ。孤独に過ごしてきたパチプロは、社会的な地位もないに等しい。そして殆どの人が独身で一人暮らしでなのある。


■地獄行きの切符

その後のボクだが、スロットを打っているとしょっちゅう脈が飛ぶようになった。急に息苦しくなるから、脈が飛ぶとすぐにわかるのである。

酷い時は連続で脈が飛んだ。そんな時は胸ポケットからニトロペンを取り出して、「その時」に備えたものだ。

結局ボクが、あのニトロペンを使うことは一度もなかった。だが、もしも使うことがあったならば、ボクは今この世にいないかもしれない。

あの頃のボクは、胸ポケットのそれを保険だと思っていた。だが、よく考えてみれば地獄行きの切符を手にしていたのだろう。

ギャンブルに依存すると、つまらないものに命を預けてしまう。あの時のボクは、まさにそうだった。


最後に、どうしてもパチ屋から離れられないあなたへ

特殊子役やプレミアム演出に命を懸けて、一体何になるというのだろう。あなたはパチ屋という最悪の場所で、毎日命をすり減らしながら、数々の物を失い続けているのだ。

目を血走らせ、つまらない機械の動きに一喜一憂するのは、今日限りにすればいいだろう。何よりも勿体ないのは、あなたの命であり「あなた」という存在なのである。


終わり

ニトロペン

こんにちは、タカビーです。今日は少し、想い出話をしてみます。以下、たわ言モードですので、どうぞよろしくお願いします。


ニトロペン

IMG_2208_R今日、何気なくジャケットのポケットに手を入れたら、こんなものが出てきた。

ニトロペンは、言わずと知れた心臓の命綱。心臓発作が起きた時、舌下に入れて服用するものだ。

以前ボクは、これを持ち歩いていた。ボクにとって、こいつは苦い想い出の薬である。

曖昧な記憶だが、この薬は使用期限が短かかった。きっと薬としての使命があまりにも重大過ぎるので、そうなっていたのだろう。

IMG_2224_Rボクが断パチ・スロを始めたのが、2004年2月2日である。今日で、3239日が経過した。もうすぐ9年過ぎるが、おそらくこのニトロペンもその頃、医師に処方してもらったものだ。よく見ると使用期限が2005年9月と記されている。

あの頃ボクは、毎日のようにパチ屋でスロットしていた。いつ倒れてもいいように、カメラマンベストの胸ポケットにニトロペンを忍ばせて…。



■パチ・スロへの依存は 命がけ

ギャンブルに依存すると、いろいろなものを失う。金と時間はまず間違いないだろう。それと信用もがた落ちだ。

ところが意外なことに、健康について無頓着な人が多い。だが実際、人が思っている以上に、パチ屋通いは健康を蝕むのだ。

ボクの場合は、耳鳴に頭痛、肩こり・手のしびれがとにかく酷かった。パニック障害にもなってしまった。

今になってつくづく思うが、パチ・スロへの依存は命がけなのである。


■あなた死にますよ

ボクは今までに2度、パチ屋から救急車で運ばれたことがある。1度目に搬送された病院の処置室では、アル中で行き倒れになった汗臭いオッサンの横に寝かされ、その強烈な匂いにえづきながら点滴を受けた。

2度目に運ばれた病院では、若い医師からこう吐き捨てられた。

「あなた そんなことしてたら死にますよ」

あの医師はボクがパチ屋で倒れたときのことを話すと、軽蔑に満ちた顔で確かにそう言った。

だがあの時のボクは、安定剤を注射され病院のベッドで仰向きになりながら、こう考えていた。

「打ってたあの台 どうなっただろ?」

少なくともあの頃のボクは、医師の「死にますよ」という言葉よりも、自分が回していたマシンの方が気になっていたのだ。

続く
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