タカビーです。


クリスマスですね。
こんな時に、湿っぽいお話で申し訳ないんですが、


 〜今日は、私のエピソードってことで・・・・。〜


年末も押し迫ったこんな時期、身近に居た何人かの人達を想い出します。


ある人は、亡くなり
ある人は、忽然と居なくなりました。
ある人は、幸せな人生を送る為に自ら旅立ちました。


特に想い出に残ることといえば・・・・・・・・、
私は一人の老人を想い出します。



 〜彼の名前はマーしゃんと言いました。〜


彼は、私がお別れしたギャンブラーの一人ですが、癌を患って亡くなった3人のうちのお一人です。


   【マーしゃんのこと】


私の住む大阪には、かつていろいろな遊技場がありました。


例えば、今年世界陸上が行われた、長居陸上競技場はもともと競馬場だったのです。


岸和田には競輪場、園田には競馬場がありました。


今でも残っている施設としては、住之江のボートレース場ぐらいですが、ここは、漫才師の故横山 やすしが、その昔、現役で予想屋をしていたことでも有名です。


今でもね、私の知り合いでここのボートをこよなく愛している人は、実に多いんですよ。


 〜今は無き、マーしゃんもボートを
  こよなく愛する老人でした。〜

競艇1






人懐こい笑顔、少し丸顔が愛嬌のオッサンでした。
おでんが好物で、特に大根とこんにゃく、それとスジ肉が大のお気に入りでしたね。


普段は住之江に行くか、飛田で遊んでいるかどちらかというくらいの遊び人でしたが、思いやりのある人で、


ぱっと見は、さえないオッサンのマーしゃんを、恩人として慕っている人はこの界隈に結構いたもんです。


 〜私とマーしゃんとの出会いは、パチ屋でした。〜


当時流行りだったプラネットというパチスロ機で打っていたところ、隣に座ったのがマーしゃんでした。


ボーナスが入っているのに、立ち去ろうとしたマーしゃんに思わず私が声をかけたのがきっかけでした。


 「おっちゃん! ボーナス入ってるで!」
 思わず、私が声をかけた時、マーしゃんは・・・・・、

 「こんなボロ台、来ることありゃあせん。」
 「兄ちゃん、打ちたかったら打ちいな!」


 そう言って、立ち去ろうとしました。
 私は、自分のコインでボーナスを揃え、


 「ほら、来たやろ、勿体無いことしたらあかんで。」
 そう言って、絵柄を揃えその場を立ち去ったのです。


 私が次にその店を訪れた時、誰かが私の肩を叩きました。


 〜マーしゃんでした。〜
 彼は少し照れた顔で、


 「兄ちゃん、先だってはたいそう世話になった。」
 「おおきにな! 今日はワシに少し付き合うてくれんか。」


マーしゃんはそういうと、私をおでん屋に連れて行き、そこからは、何件か自分の行きつけのお店に連れていきました。


 〜こうして、私とマーしゃんとの
  お付き合いは始まりました。〜


私が保険屋だということを知ってからは、自分の身内や得意先、果ては行きつけの店に至るまで、


 〜彼はとことん、私から保険を入るよう
  勧誘し、紹介してくれました。〜


マーしゃんは設備工事業を営み、当時悠々自適に暮らしていましたが、週末のボートだけは欠かしたことの無い人で、


 〜しょっちゅう、私を誘うわけです。〜


私が「俺、ボートはやらん!」といっても、


 「ええから、付き合え。メシ奢ったるさかい!」
 そういって、何度も住之江に連れて行かれました。


 「なんで、ボート知らん俺を誘うんや? 知っている奴
 なら、ナンボも居るやろうにな。」


そう言っても、


 「知ってる奴は、逆に気が重いわ!」
 などと言って、いつも私を誘いました。


 〜私は、ボートは全くやった経験がありません。〜


でも、そんな具合でしたので、たまには仲の良かったマーしゃんに付き合って、住之江まで行くことがあったのです。


 〜そんなマーしゃんが肺を患いました。〜


彼は以前より、喫煙とボート通いは固くやめるように言われ続けていたのです。


入院を知った私は見舞いに訪れ、唖然としました。


 〜目の前に居るマーしゃんに、
  以前の面影は、全くありませんでした。〜


ほお骨が突き出し、やつれきった彼は、以前とは全く別の人物になっていたからです。


私の顔を見ると彼は満面の笑みで、喜んでくれました。
病院が窮屈だの、食事がまずいだの、さんざんボヤキ倒してしかる後に彼はこう切り出しました。


 「ボートに連れてってくれんかい・・・・・。」
 見違えるほどやつれた姿のマーしゃんは、いきなり私に
 こう言い出したのです。


 「頼む! 最後のお願いや。 連れてってくれんか・・・、
  住之江に連れてってくれや。」
 そう言って、手まで合わせるのです。


私は、彼の命があといくばくも無いことを悟りました。
そして、元気な声でこう答えたのです。


 「ええよ! その代わり、帰りにおでんくらい奢ってや!」


 「おおきに、ホンマありがとうな。」
 彼はそう一言だけ言うと、そっと目を閉じました。


それからしばらく経って・・・・、彼から私の携帯に電話がありました。


 〜病院の外泊許可が出たというのです。〜


その日、私たちは住之江に繰り出しました。
何か大きなシリーズだったでしょうか? 彼は喜びました、興奮していました。


 「ボートが出来る! またボートが出来る・・・・。
  俺は、幸せや、ほんま幸せや。」
 彼は喜びに打ち震えて、こう言ったのです。


しかし、予想紙を買い込んで、さっそうとレース場に乗り込んだものの、勝負するレースはことごとく外れ、とうとう最終レースになってしまいました。


「ここはな、最後のひと勝負をするで!」
「2から流す! 4点買いや。 まあ、見ててや!」


そういうと、5千円ずつ、計2万の舟券を買いました。
止めたところで、無駄だということが、私にはよくわかっていたのです。


そして私は、最後になるかもしれない彼のレースを、妨げることはしたく無かったのです。
 

結果はというと・・・・・・・、


最後のターンに入っても、彼の予想通りにレースは運んでいました。


「行ったれ! そのまま、そのままかわすんじゃ!」
彼は、叫びました。


隣に座っていた老人もコチラを見て、言いました。
「よろしいのにな!そのまんまで、よろしいのにな!」


彼にとっては、2−8の舟券5000円は自分が買っている舟券以上に重大なことだったのでしょう。


結果は、最後にまくられて彼の買った2−8の連単は来なかったのです。


 〜入っていれば、78万円、それが流れました。〜


マーしゃんは、その場にしゃがみこみました。
そして、しゃがれた声でしたが、はっきりとこう言ったのです。


「これで、ええんや!」 「これで、ええんや・・・・。」
私の手を握り締め、彼はこう呟いたのです。


 〜それから半月ほどで、
  マーしゃんは帰らぬ人となりました〜


葬儀の席で、奥さんは私に深くお辞儀をされ、こうおっしゃいました。


「主人はタカビーさんに、くれぐれもよろしくと最期にそう申しておりました。」

「主人は、タカビーさんに連れて行ってもらった、あのレースのことを、逝く間際まで喜んで話しておりましたから。」


奥さんはこう言うと、目頭を押さえ声を詰まらせました。
散々苦労はしたが、奥さんはかけがえの無い人を失ったのでした。


そして私は、自分が今また一人のかけがえの無い仲間を失ったことを知りました。


誰が置いたのか、祭壇にそっと置かれた今日の予想誌が、今までの彼の人生をひっそりと物語っていました。


いく人もの人々に惜しまれながら、マーしゃんはこの世を去っていきました。


博打を愛しつつも、誰からも愛される数少ない人の一人でした。 今では少ない、粋人だったとも言えるマーしゃん。


棺の中にその日の予想誌と花を収め、私はマーしゃんに別れを告げました。


そして・・・・・・・、あの日から、私がギャンブルと別れようと思うまであと8年の歳月が必要だったのです。


 〜実際に8年の歳月は長い物でした、
  あまりに長すぎた年月だったのです。〜



今日も最後まで、有難う御座いました。

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