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おはようございます、タカビーです。


大阪でも涼しくなってまいりました。 今朝などは、少し寒いって気すらしましたもんね・・・。


その4今日は、『十牛図』のまとめをさせていただこうと思います。 飛び飛びで更新しましたので、理解しにくかったあなたもどうぞお読みくださいませ・・・。


ちなみに、いままで何度かシリーズで書かせていただきましたが、『十牛図』は小説以外では過去最高のプレビューを頂戴いたしました。


辛抱強くお読みいただいたあなたに、感謝いたします・・・。m(__)m


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【十牛図のまとめ】



今日は『十牛図』の」まとめとして、一図から十図まで通して書かせていただきます。


一図〜尋牛(じんぎゅう)

その1この場面における牛の存在とは、失くしたものということになっています。 しかしながら、必ず失くしたものかどうかはハッキリとしないのです・・・。


>失くしているかどうかさえ不明である。 また失くしたものが何か? 求めるものが何かさえわかっていないといえる。



第二図〜見跡(けんじゃく)


その2ここで初めて牧童は、問題(=牛)の存在を知ります。 しかしながら、問題は何か(自分の求めている牛かどうか)はおぼろげながらにしか見えていないのです・・・。



第三図〜見牛(けんぎゅう)


その3ここで牧童は、牛の後姿をついに発見します。 しかしながら、見たのは後姿なのです。


この牛が自分が捜し求めた牛であるのかどうかさえ、まだハッキリとはわかってはいないのです。


しかしながら牧童は、もうここでは迷ってはいないように思えます。



第四図〜得牛(とくぎゅう)


その4牧童は自分の求めていた牛に向かって、縄を投げかけます。 その姿には、もはや迷いはありません。


ただ、なんとしても牛を捕らえようと必死でもがき苦しむ姿が印象的です。


人が自らを鍛錬し、悟りを得ようとする場面であるといえます。



第五図〜牧牛(ぼくぎゅう)


その5牧童は牛を捕らえ、そして手なづけました。 


おとなしくなった牛を従えて、住処に帰る途中です。 ここでは牛はもう暴れてはいません。


牧童の自分探しの旅の終わりが近いことを窺わせる絵です。



第六図〜騎牛帰家(きぎゅうきか)


その6住処へ帰る途中で、牧童と牛とは仲良くなりました。 牧童は(牛)と仲良くなって、牛(自分自身)との距離もグッと近くなったようです。


平安なひと時が訪れました。 牧童の自分探しの旅が終わったことを、この図は表しています。



第七図〜忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)


その7住処に帰って牛をつなごうとすると、突然牛は消えうせてしまいました。 しかしながら、ここでは消えたとは記されていません。


「牛を忘れた」とあります。 牧童と牛は一体となり、突然牧童の前から牛の姿は消え失せました。 今の牧童に残されているのは、自分という存在だけなのです・・・。



第八図〜人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)


その8ここでは牧童の姿さえも消えうせてしまいました。 しかしながら、消えたとは記されていません。


ここでも「忘れた」とあるのです。 つまり牧童は、自分自身さえ忘れてしまったのです・・・。


自分自身を忘れるということとは、どういうことであるのか?それは、最終図の『入鄽垂手(にってんすいしゅ)』を見れば明らかでしょう・・・。



第九図〜返本還源(へんぽんげんげん)


その9ここでも牧童の姿は描かれません。 山があり、谷があり、川が流れ、花が咲き、楽しそうに鳥がさえずっています。


ここで描かれているのは、自然の姿です。 そして時が流れたことを語っています。


しかしながら、時は廻り(めぐり)人もまた廻り来るのです・・・。



第十図〜入鄽垂手(にってんすいしゅ)


その10かつての牧童は、ひとりの柔和な老人としてここに登場しました。 


老人の傍らにいるのは、一人の若者です。 しかしながらその姿は、老人のかつての姿であった牧童そっくりに描かれています。


牧童は自分探しの旅を終え、自我も自意識も忘れ、齢を重ね、人と交わって教えを説くために里に出たのです。


ここで言う「入鄽(にってん)」とは、様々な方が解釈を書かれていますが、大筋で言えば、「街(郷)に下りて、人と交わる」ということだそうです。 そもそも「鄽(てん)」とは店や所定の建物という意味らしいです。


つまり、今までは山に篭って(こもって)一人過ごしていた老人が山を後にして、郷に降りて人と交わり、交わった人々を救っていく様だといわれています。


ちなみに、彼がこの図で左手に持っているのは酒を入れた徳利とも言われ、このひょうきんな老人の人柄が窺い知れます。


確かに罪のない爺さまですよね!



さて、今日で十牛図全て終了いたしました。 いかがだったでしょうか・・・?


書きながら、実際は私も一つ一つの記事が勉強で、良い機会を頂戴したと思っています。


退屈された方もいらっしゃったことかと思いますが、また役に立てそうなものがありましたらシリーズでお届けしようと思います。


〜今日も最後までありがとうございました。〜


今日の記事はいかがでしたか?

 
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