こんばんは、タカビーです。今回は前回の続きです。


お手柔らかに

今日は最初に、あなたへお話しておきたいことがある。それは、ボクが自身の経歴や「かつてプロになりたかった」などという話をすると、途端に目を三角にして「不謹慎だ」と批判する人がいることである。真面目な人もいるもんだなぁと思うけど、それはそれで結構である。

だがひとつ言っておきたい。それは、この場で記事にしていることが全てボク自身の堕落であって、何も自慢に値するものではないということだ。勿論、ボクだって武勇伝気分でお話しているわけでもない。

というか、そういった経験はボクにとって一番不名誉なことなんだ。それをあえてお話しているのだから、このあたりは矛先の方向をいくぶん修正していただきたいものである。さて前置きはこのあたりにして、話の続きをしよう…。


平等な世界

47033166_e656a003e9_m「社長も
部長も
平社員も

パチンコする時は
ただの人」


これはずいぶん昔、パチ屋で見かけたキャッチ・コピーである。やることなすこと全てがド派手でトンチンカンの業界ではあるが、あのコピーだけは「上手い!」と当時のボクは思ったものである。

実際、パチ屋の中というのは、上下関係や社会的地位など何の意味も持たない世界だ。そこで問われるものといえば、それはただ勝つか負けるかという「結果」だけなのである。というか実際は、金を貢ぎ続けるだけの世界なのだが、当時のボクはそう感じていた。

極端な話、年中ボロボロのジャージを着て、汗とタバコの交じり合った異臭を放っているオヤジでも、勝っていれば堂々と胸を張っていたし、逆に、アルマーニのスーツに身を包んだ成金のオッサンであっても、負ければ無言でコソコソと逃げ出すしかなかった。

実力だけの世界…

そういったものにボクは憧れていたし、その世界の頂点ともいえるプロになることが目標だったといっても決して過言ではない。だが結論からいうならば、このボクにはそういった資質がなかったのである



■確率論では喰えない

ではプロの資質とは一体何だろう? ここで勘違いしているひとが多いので、一つあなたにお話しておこう。

今ボクが知っているプロたちの中で、攻略誌などに書いてあるような、いわゆる「確率論」とか「ゾーン狙い」などで稼いでいる者など一人もいない。そんな幼稚な方法で稼げたのは、遥か昔のことである。

というか、確率論さえなかった頃でもプロは存在していたし、「喰えるかどうかの見極め」というものが存在していた。では、見極めとは何か? それは時間あたりに使う金額である。「時間あたりの回転数」ではなく、ゼニであるというところがミソであった。

つまり1時間に大当たりが3回来る機械であるならば、1時間に使う金が少ないほど抜けて当然だという考えである。そしてこういった理屈はデジパチのみならず、一発台でも立派に通用したのである。当たり前のハナシだが、一発台にせよデジパチにせよ、大当たりを消化するのにそこそこ時間がかかる。1時間に使うゼニが少ないということは、大当たりに費やしている時間が多いということだ。

要は理論やデータなどどうでもよい。抜ければよいのだ。それが過去からもそうであるように、現在もプロたちに課せられた必然のルールなのである…。

もしもあなたが攻略誌を常にチェックして、各機種のデータやスペックを覚えるのに余念がないのであれば、それは稼ぐどころか「カモになるための情報を 一生懸命 無駄な金と時間を費やして得ている」だけである。

そんなことをして収支がプラスになるかどうかは、きっとあなた自身が一番よくご存じだろう。そしてもう一つ…。金に対する執着とその方向が、プロとシロウトでは全然違う。


■学生時代

学生の頃、一つ年上の先輩がパチンコで喰っていた。家庭教師もやらず、他のバイトもやらず、自分の生活費と学費をパチンコの稼ぎ一本で凌ぎ、おまけに貧しかった実家に仕送りまでしていた。信じられないだろうが、これは本当の話である。

勝ち続けるというだけで既に驚愕の世界だったが、当時のボクはそんな先輩が羨ましく、あろうことか頼み込んでクギの見方や立ち回り方などを全て伝授してもらったのだ。そして、それを知るだけで負けなくなったのは事実である。

もっともあの頃のパチンコは、クギが見れるだけである程度までは勝てるものだった。おまけにボクは視力が良かったので、特に有利だったといえるだろう。

ボクが通っていた店には、ボクを除き少なくとも3人のプロがいた。そのうちの一人が、その先輩だった。ボクは一人前のプロ気取りで朝からパチ屋の前に並び、友達から麻雀のお誘いが来ないかぎりずっと打ち続けていた。

続く

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