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私の経験から

ボクがパチプロになれなかった理由 最終回

こんばんは、タカビーです。またまた随分と更新の間が空いてしまいました。今まで1ヶ月更新なしというのは一度もないので、不名誉な記録を作らないためにも頑張って更新させていただきます。

さて…

パチンコが法律で認められる日が近づいたようです。自民党の有志議員が、パチンコ合法化に向けて動き始めました。

以下 47NEWSより引用

自民、風営法改正へ議連設立 「クラブ」の規制検証>

 自民党の有志議員は14日、風営法改正を検討する議員連盟を設立した。風営法は「設備を設けて客にダンスをさせ、飲食させる営業」を許可が必要な風俗営業と規定し、警察当局がダンスや音楽を楽しむ「クラブ」などの取り締まりを強化している。これに対し法改正を求める署名運動が広がっている現状などを踏まえ、規制の妥当性を幅広く検証して法改正につなげる。

「時代に適した風営法を求める議員連盟」(会長・保岡興治元法相)で約20人が参加。会合では「なぜカラオケボックスに規制がなくて、ダンスを楽しむクラブは規制されるのか」などの意見が出た。


この内容を読む限りでは、なんだかクラブの規制を取っ払うだけのようなことになっていますが、私は「実際にそこで話し合われたのは 主にパチンコの法制化(パチンコ業法成立)に関することばかりだった」という情報を得ています。

このあたりのことは、マスコミも徹底的にシャットアウトするという、異例の厳戒態勢の中で行われ、秘密裏のうちにパチンコを合法化してしまおうという政府筋と業界の思惑が窺い知れます。

つまり、この議連は「時代に適した風営法を求める議員連盟」という名称になっていますが、その実態は完全に「パチ・スロ合法化推進議連」なのです。

ここで、今の日本におけるギャンブル依存症の実態を少し書いておきます。今の日本におけるギャンブル依存症は、もはや尋常なレベルではありません。

2009年度総務省の統計調査によれば、成人男子の9.6パーセント、成人女子の1.4パーセント、成人全体の5.5パーセントが依存症ギャンブラーという結果が出ていますので、この数字からすればカジノ解禁などとんでもない話です。といいましょうか、実際はこの調査結果程度では済まないのではないでしょうか? なぜなら、女性の依存率がこんなに低いとは思えないからです。

この国に今以上の賭博を導入しようとしている人達は、口先でどんなに立派なことを言っても所詮売国奴です。ギャンブルに天井を設けることに反対する人は、「大酒呑んで暴れ回らないと 呑んだ気がしない」と言っているに等しいのです。

我々がギャンブルにまみれた国を建て直すには、賭け額の上限を決め、義務教育の段階で賭博の恐ろしさを子供たちに教え込むしかありません。

前置きが長くなりましたが、前回の続きです。


■チンケなプライド

TNTいろいろな人に「なぜタカビーさんは そこで踏み止まれたのですか?」と尋ねられる。また逆に当時は、知り合いのプロたちから、「お前はなんで 2足のわらじを履くねん?」とか「会社なんか やめてまえや!」とか言われることが多かった。

実際彼らにしてみれば、凌いでいるくせにその風体がスーツを着た会社員というのが気に入らなかったのだろう。だが当時、ボクがいた保険会社は違った。簡単にいえば、ボクを含めハンパなく達者な社員が数名居たのである。

そういった好ましくない環境に居たから、ボクも全く罪悪感など感じなかった。仕事をサボれるだけサボって、毎日パチ屋に通っていた。

そんなボクがとことん転落しなかったのは、最後まで自分自身を手放す勇気がなかったからだ。逆にいえば、そこまでできる根性がなかったということである。プロになる禊というものは、「他のプライドや邪魔ものなど一切かなぐり捨て パチンコだけで喰う」ということに他ならない…。2足のわらじを履けるプロなど、存在しないのである。

ではあの頃、ボクのブレーキとなったものは何だったのか? それは吐き捨てるほどつまらないものではあったが、「大学を出た」というチンケなプライドだった。だがそんなつまらないプライドのおかげで、ボクは最後まで堕ちはしなかった。今考えれば、受験をくぐり抜けた経験というものが多少は役に立ったのかもしれない。


■手段は後からついてくる

ここで当時のプロについて書いておく。

当時のプロというものは、まず喰うための機種を選び、朝一から並んでそのうちの1台を確保して終日回すのが常だった。つまり、「喰えると決めた機械を 一日かけて舐めつくす」というスタイルだ。そして座った限り脇見など一切せず、抜き終わってクギが締まる日まで同じ台を打ち続けるのである。

以前このブログで書いたが、「通常は賞玉が1個しか出ないスペックなのに、壊れて15個出てくるフィーバー機」を定休日以外毎日通って抜き切ったプロがいる。ホッパーが故障し、どんな子役でもコインが20枚くらい出てくるパルサーを喰い尽くした奴もいた。

このように「甘い機械や壊れた機械を喰い尽くすこと」を時のプロたちは「追う」と呼んでいた。追うためには、一日中パチ屋に居る必要がある。既にあなたはお気付きだと思うが、2足のわらじが履けない理由とは、途方もなく長い時間が必要だということである。

そして、追う台の善し悪しで稼げる額は大きく変わった。当たり前のハナシだが、喰えない台を追っている奴は勝つどころか店にとって良いカモになった。もう一ついえば、喰うための手段というものは覚悟さえあれば後から付いてくる。店員と組んで一発台の放り込みをしようが、コインをちょろまかそうが、ようは銭になればいい。プロとはそんな世界だった。根性のない奴は、プロになどなれるわけがないのである。

そして今、ボクは思うのだ、あの時プロになれなかったことは、本当に幸いだったと。

プロになっていれば、今のような活動をすることもなかっただろう。この歳になって、妬み・僻み・嫉みの世界に尚居続けたことだろう。そしておそらく、ここに居られるあなたとお会いすることもなかっただろう…。

このことを、今何よりも嬉しく思う。

ボクがパチプロになれなかった理由 その2

こんばんは、タカビーです。

日本という国は不思議な国です。真っ赤なウソが、世間で堂々とまかり通っていることがよくあります。その原因はいろいろとあるのですが、まずマスコミがウソをウソだと言わないことが大きいです。我々市民は、たとえそれがウソであっても、何度も繰り返し聞かされると最後は盾に首を振ってしまいがちです。

同じように世の中には不合理というものがあります。カルトだって、信者数が増えれば国を動かす勢力になっています。絶対に実現などしない夢物語でも、口の旨い人物が叫びマスコミがそればかり取り上げていると、何だか実現しそうな気がしてきます。

駅前に有ったちっぽけなパチ屋でも、巨大化して何兆円もの売り上げがあがれば、おこぼれ頂戴に与ろうと蛆虫のような連中がウヨウヨと寄ってきます。完璧なバクチであるにもかかわらず、国は知らないふりを決め込みます。これはもう、日本に蔓延る慢性の国民病だといってよいでしょう。もはや国際的にも、大きな恥です。

今現在、カジノ合法化に向けていろいろな話が進められています。じゃカジノ合法化して、一体何をどうしたいのか? 簡単にいえば、得体のしれない儲け話に我々国民の血税をつぎ込み、パチンコ関連業界を潤わせようと…。まあ、その程度の話です。

カジノ業界は競争が激しく、勝ち残れるという保証などどこにもありません。それどころか、今現在カジノは全世界的に斜陽産業です。あのベガスでさえ、構造不況の真っただ中です。カジノ合法化などと叫んでいる人たちは、暗黙のうちに関係者だけで甘い汁を吸いつくし、あとはドッカリと我々国民に尻拭いさせようと考えているんでしょう。

大阪でも同じです。維新の会が掲げる大阪都構想…。この都構想だって、主要財源をIRと呼ばれるカジノをメインとするリゾート計画にドップリと委ねているのです。つまりこれだって、バクチで儲けようというお粗末な話なんですね。

それにしても…。主張が通らなくなると何でもすぐに投げ出しちゃう、幼稚園児みたいな市長、これでまたバクチ好きというのだから一層困ります…。都構想などという、最初から出まかせのイカサマ話に酔うのはやめましょう。

大阪を立て直すのに必要な物は、バクチではありません。それは、あなたの力であり、私の力なのです。ゼロサムなものに未来を託すという過ちを犯してはなりません。

今夜は少し前置きが長かったですね。それでは前回の続きです。


■最速のバクチ

304850760_7f82945e68_tそんなある日のこと、友人から言われたことがある。それは「どうせアルバイトをやるならば 将来役に立つことをやったらどうだ?」という辛口のひとことだったと記憶している。

今から考えると、その友人はたいした人物だったと思うが、当時のボクはそんな言葉に貸す耳などなく、パチンコで稼ぐことがどんなに楽しくて楽で効率的か自慢するばかりだった。有頂天になっていた。おそらくだがその友人には、相当軽蔑されていたんだろう…。その後も、かなりこっ酷くディスられた。「お前は後々 エラい目に遭うだろう」と。そして彼の予言は的中した。

自堕落な生活も卒業と共に終わり、そんなボクでも東京の自動車会社へ就職することになった。

そして出向先の茨城でボクはテーブルポーカーに手を染め、バクチは負けるものだということを思い知らされることになったのだ。今考えれば、あの時点で既にボクはプロになれない人間だったといえる。

間違いないことだが、あの時のボクは「稼ぐ」ためではなく「楽しむ」ためにバクチに手を出し、ハマったのだ。そういった人間がプロになれないことは、後々気づいたことである。

テーブルポーカーは今考えてみれば、当時最速のバクチだった。一晩で70万円溶かした人までいた。ボクもすぐにスッテンテンになり、無一文になっては当時付き合っていた彼女の世話になった。


■プロ失格

だが幸いなことに、テーブルポーカー、テーブル麻雀・競馬といった機械物は、すぐに摘発されて無くなってしまった。違法賭博なんだから、当然といえるだろう。そしてそのおかげで、ボクはそれ以上の損失を出すこともなかったのである。通常なら、そこでバクチと縁を切るのが当たり前だ。

だが、ボクは一つ重大な間違いを犯した。それは「バクチに手を出してはならないが パチンコならいい」と勝手に決め込んでしまったことである。つまり、かつて稼いだ経験から、パチンコはバクチじゃないと勝手に解釈していたのである。

バクチが好きな奴は、いつか必ずバクチに溺れてしまう。あの頃のボクは、こんな単純なことさえ分からなかったのだ。

続く

ボクがパチプロになれなかった理由 その1

こんばんは、タカビーです。今回は前回の続きです。


お手柔らかに

今日は最初に、あなたへお話しておきたいことがある。それは、ボクが自身の経歴や「かつてプロになりたかった」などという話をすると、途端に目を三角にして「不謹慎だ」と批判する人がいることである。真面目な人もいるもんだなぁと思うけど、それはそれで結構である。

だがひとつ言っておきたい。それは、この場で記事にしていることが全てボク自身の堕落であって、何も自慢に値するものではないということだ。勿論、ボクだって武勇伝気分でお話しているわけでもない。

というか、そういった経験はボクにとって一番不名誉なことなんだ。それをあえてお話しているのだから、このあたりは矛先の方向をいくぶん修正していただきたいものである。さて前置きはこのあたりにして、話の続きをしよう…。


平等な世界

47033166_e656a003e9_m「社長も
部長も
平社員も

パチンコする時は
ただの人」


これはずいぶん昔、パチ屋で見かけたキャッチ・コピーである。やることなすこと全てがド派手でトンチンカンの業界ではあるが、あのコピーだけは「上手い!」と当時のボクは思ったものである。

実際、パチ屋の中というのは、上下関係や社会的地位など何の意味も持たない世界だ。そこで問われるものといえば、それはただ勝つか負けるかという「結果」だけなのである。というか実際は、金を貢ぎ続けるだけの世界なのだが、当時のボクはそう感じていた。

極端な話、年中ボロボロのジャージを着て、汗とタバコの交じり合った異臭を放っているオヤジでも、勝っていれば堂々と胸を張っていたし、逆に、アルマーニのスーツに身を包んだ成金のオッサンであっても、負ければ無言でコソコソと逃げ出すしかなかった。

実力だけの世界…

そういったものにボクは憧れていたし、その世界の頂点ともいえるプロになることが目標だったといっても決して過言ではない。だが結論からいうならば、このボクにはそういった資質がなかったのである



■確率論では喰えない

ではプロの資質とは一体何だろう? ここで勘違いしているひとが多いので、一つあなたにお話しておこう。

今ボクが知っているプロたちの中で、攻略誌などに書いてあるような、いわゆる「確率論」とか「ゾーン狙い」などで稼いでいる者など一人もいない。そんな幼稚な方法で稼げたのは、遥か昔のことである。

というか、確率論さえなかった頃でもプロは存在していたし、「喰えるかどうかの見極め」というものが存在していた。では、見極めとは何か? それは時間あたりに使う金額である。「時間あたりの回転数」ではなく、ゼニであるというところがミソであった。

つまり1時間に大当たりが3回来る機械であるならば、1時間に使う金が少ないほど抜けて当然だという考えである。そしてこういった理屈はデジパチのみならず、一発台でも立派に通用したのである。当たり前のハナシだが、一発台にせよデジパチにせよ、大当たりを消化するのにそこそこ時間がかかる。1時間に使うゼニが少ないということは、大当たりに費やしている時間が多いということだ。

要は理論やデータなどどうでもよい。抜ければよいのだ。それが過去からもそうであるように、現在もプロたちに課せられた必然のルールなのである…。

もしもあなたが攻略誌を常にチェックして、各機種のデータやスペックを覚えるのに余念がないのであれば、それは稼ぐどころか「カモになるための情報を 一生懸命 無駄な金と時間を費やして得ている」だけである。

そんなことをして収支がプラスになるかどうかは、きっとあなた自身が一番よくご存じだろう。そしてもう一つ…。金に対する執着とその方向が、プロとシロウトでは全然違う。


■学生時代

学生の頃、一つ年上の先輩がパチンコで喰っていた。家庭教師もやらず、他のバイトもやらず、自分の生活費と学費をパチンコの稼ぎ一本で凌ぎ、おまけに貧しかった実家に仕送りまでしていた。信じられないだろうが、これは本当の話である。

勝ち続けるというだけで既に驚愕の世界だったが、当時のボクはそんな先輩が羨ましく、あろうことか頼み込んでクギの見方や立ち回り方などを全て伝授してもらったのだ。そして、それを知るだけで負けなくなったのは事実である。

もっともあの頃のパチンコは、クギが見れるだけである程度までは勝てるものだった。おまけにボクは視力が良かったので、特に有利だったといえるだろう。

ボクが通っていた店には、ボクを除き少なくとも3人のプロがいた。そのうちの一人が、その先輩だった。ボクは一人前のプロ気取りで朝からパチ屋の前に並び、友達から麻雀のお誘いが来ないかぎりずっと打ち続けていた。

続く

ボクがパチプロに憧れたワケ

こんばんは、タカビーです。今夜は徒然に書いてみたいと思います。

久々に昔の仲間と会った
ボクはプロになれなかったけれど
彼は今でも現役のスロプロだ

2555123642_4207cc0a5e_m彼はボクの顔を見るなり
こう言った

最近どないしてる?
カミサン元気か?

あん時は お互い エエ目したのう
勝って はしゃいで 
その足で鴨鍋食べに行ったやんけ

そんな話が一通り終わった後で
彼がポツリと言った

オレ… 足洗おうと思うんや
お前どない思う?

それから彼は 寂しそうに呟いた

今のシャバて…
喰うていけるんか?



人生、半分以上も生きていれば、時として土下座しなければならないことくらい知っている。

ボクはいろいろな職場で営業を経験したが、他人よりも抜きん出て成績を上げるためには、どうしても土下座する必要がある。

この場合の土下座とは、他人の前で地面に頭をこすりつけることではない。全ての恥を耐え忍んで、客に接するということである。ある意味これが嫌で、ボクは営業という職を投げ出したといえるだろう。

あの頃ボクは、とにかくパチ(スロ)プロというものに憧れていた。それは自由への憧れではあったが、決してそんなに格好良いものではない。簡単にいえば、楽して食っていくことに憧れていたのである。

じゃぁ楽って、一体何か? それはそれでいろいろとあったんだな…。


■ボクがパチプロに憧れたわけ

ボクがパチプロに憧れた理由と、パチプロにならなかった理由は、いくつかある。今回は、憧れた理由について書いてみたい。

誰でもそう感じているかもしれないが、人間関係というものは極めて煩わしく出来ている。人間関係の最小単位というものは、おそらく夫婦や親子というものだろうけれど、そんな最小単位の中でも一旦溺れれば、這い出して来れなくなることがある。

パチプロというものは、極端に人間関係が少ない職場というか「環境」である。逆にいえば、「人間関係に時間を費やすのであれば もっと機械に慣れ親しめ」という凌ぎなのだろう。

ギャンブルに依存する過程として、「人間関係が煩わしくてプロになりたい」と考えた人はきっと多い筈だ。このボクも、そうだった。

煩わしい人間関係がないという他にも、パチプロという稼業は魅力がいっぱいだった。なにしろ、時間的な制約がない。自由出勤に自由退社ときている。身なりも気にしなくて済む。スエットの上下で雪駄履きでもかまわない。

いつ休もうが、それも自由だ。とにかく、あらゆる点で自由なのである。しかも日銭ときているから、取りっぱぐれがない。大ぴらには言えないが、税金を支払うことも考えなくてよい。

それで易々と、「普通のサラリーマンと同じくらい稼げれば それは素敵じゃないか!」などと考えた大馬鹿の一人がボクだった。


■究極のプロはサクラなのだが

ボクは今までに数度、「サクラにならないか?」と誘われたことがある。当時提示された日給は、だいたい2万円くらいだった。

だがこのボクは、サクラにならないかと言われた時、妙に冷めていた。サクラ稼業が泥臭く因果な世界だと知っていたからである。

プロならば、喰うために抜くだけだ。しかしサクラは違う。抜くために店と組み、客を欺かねばならない…。そこに気分が重くなる因果が生ずるのは、当然のことだろう。

だからボクはサクラにはならなかった。誰からも束縛されず、堂々と抜ける一人前のプロに憧れたのである。だが後年になって知ったが、そのプロとやらも実際は因果どころか非常にレベルが低い連中の落とし場所だったのだ。

続く

保険屋時代 その8

こんばんは、タカビーです。

自民党が大勝して阿部内閣が発足したわけですが、私は大阪府民として一つ気がかりなことがあります。

それは「彼が 大阪へカジノを誘致しないだろうか」ということです。

先日、大阪市長の橋下氏が阿部総理の前で、大阪舞洲へのカジノ誘致を嘆願したそうです。その席上、阿部総理も熱心にメモを取っていたといいますから、ひょっとして前向きに考えているのかもしれません…。

それにしても、この橋下という人はしつこいですね…。よほどバクチ好きだと見えます。以下は、彼のカジノ議連に対する言葉です。

「ギャンブルを遠ざける故 坊ちゃんの国になった 小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね 全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」

こういったオツムの人が大阪市の市長なのです。そしてその手下が知事。彼らの一味である泉佐野市長と西成区長が、泉佐野市と西成区にカジノを誘致するよう求めているというのですから、どうにもなりません。

いろいろなことに失敗し、数々の批判を浴びて失脚した民主党政権ですが、橋下氏のカジノ特区構想には最後まで首を縦に振りませんでした。あれは大阪にとって、幸いなことだったなと今になって感じます。

さて…。阿部政権は、カジノについてどういった姿勢で臨むのでしょうか? 大阪にカジノを作っちゃうのでしょうか? またパチンコ業界をこのまんま温存するのか、それとも一定のけじめをつけるのか? このあたりにも注目です。


悔しさゆえに堕ちるギャンブラーたち

パチンコして負けると悔しい。きっと誰でも経験あることだろう。

ところがギャンブルというものは、こういった人間の心理を上手く利用して作られている。悔しければ悔しいほど、深みにはまっていく仕組みが存在するのである。

ボクは今までに、この悔しさの亡霊に取りつかれて身を滅ぼした人を何人か知っている。

涙を浮かべてハンドルを握り締めながら、左手で台を叩き続ける老婆がいた。台のガラスをたたき割って店を飛び出し、店員に取り押さえられて喚く女もいた。

そういった人たちに共通の特徴が一つある。それは、泣こうが喚こうが台を叩こうが、また次の日には台と向き合っているということである。

負けの悔しさはストッパーになりはしない。そして取り戻したいという憎悪の火が燃え上がれば燃え上がるほど深みにはまり、ギャンブラーたちは破滅していくのである。

だが負けるとひとことで言っても、いろいろな負け方がある。そもそもギャンブルに勝ち負けなどないというのがボクの考えだが、それはさておき、「誰かにカマ掘られたときほど悔しいことはない」というのがホンネだろう。



■あるホステスの破滅

あの頃、ボクが通っていた店には出勤前のホステスさんが多かった。出勤までの暇つぶしでパチ屋に居るホステスさんは、世間にはかなりいることだろう。まあ彼女らにしてみれば憂さ晴らし程度なのだが、中にはとことんハマってしまう子がいるのである。あの店の常連だった「リカ」もその一人だった。

リカは普段真面目な子で、お店での評判も決して悪くなかった。パチ屋で顔なじみの客を店に連れてくるという、一石二鳥の一本釣りも得意だった。お店は商売熱心なリカを、ありがたく思っていたことだろう。

実はこのボクも、リカに一本釣りされたくちである。人情味のあるママさんを気に入ったこともあって、リカがいるお店には何度も通ったものである。

ところが、このリカには大きな問題があった。というか、今考えてみれば当時彼女はかなり酷いパチンコ依存で、既にどうしようもなくなっていたのだと思う。

普段大人しく打っているときは別段問題ない。ただ単に他の客同様、ヤラれているだけのことである。ところが、時として彼女の悪い癖が出ることがある。それはカマを掘られた時だ。

一発台好きの彼女は、いつもタンブラーかホットラインとかいう機械ばかり打っていた。だが、彼女が見切りをつけた台に他の客が座ると、突然態度がおかしくなるのである。

急にソワソワしだし、あたりをキョロキョロし始める。そして自分が座っていた台の方を、何度も何度もチラ見するのである。

何度か彼女から話を聞いたことがあるが、自分の座っていた台をカマ掘りされるとはらわたが煮えくり返るくらいムカつくらしい。カマ掘りされると、彼女は別人のようになった。

そんなときの彼女は、自分がプレーした台すべてにライターを置いていく。その理由は一つ、他の客にカマ掘りされないためである。そうなると、それらの台が気になって気になって仕方がなくなる。出勤の時間も頭の中からぶっ飛び、それらの台を回り延々と金を使い続けるのである。

ところがそんな彼女も、ある日を境にプツリとそのホールに来なくなってしまった。しばらくしてリカが勤めていたお店に行く機会があったのでママに聞いてみると、次のようなことだった。

「リカちゃんね 給料前借して 服やバッグ全部質入れしてね… サラ金から追いかけられまくって どこかに逃げたらしいわ いい子だったんやけどねぇ」

ママはため息をつきながら、ボクにそう話した。

その後風の便りで、リカが隣町のパチ屋に居たという話を聞いたが、それがリカの噂を聞いた最後だった。

パチンコへの依存は、善良な人物の人格を落とし、人相さえも変えてしまう。失踪する直前のリカがそうだった。眉間に縦の皺が入り始めていたし、「あの真面目なリカが 枕営業した」という噂さえ聞いたものである。

繰り返すが、パチンコへの恨みも金への執着も、全て破滅するスピードを速めるだけなのである。難しいことだが、そういったことは時間をかけて忘れ去るより方法がないのだろう。

続く

保険屋時代 その7

こんばんは、タカビーです。

最近、「アベノミクス」という造語が氾濫していますが、ようは阿部新総裁が掲げる新経済政策を称して、そう呼ぶようです。

金融緩和と公共事業投資・インフレ促進が売り物の経済政策と見ましたが、どうも悪い予感がします。アベノミクスを簡単に、そう! かーんたんにいうならば…

「物の値段が上がって 雇用が生まれない しかも賃金上昇も見込めない」ということでしょう。これから先日本という国は、どうなるのでしょう? ますますわからなくなってきました。おそらく今まで以上の二極化が進むのでしょう。

それと…

何だか巷では、国防を言い訳に「軍備拡張」が正論になりつつあります。開戦しちゃえばいいとか、核軍備とか、好戦的な人も目に付くようになりました。

ボクは半世紀以上前に犯した過ちを繰り返す道に、今この国はドップリと浸かり始めているような気がします…。

さて、今日は保険屋シリーズその7をお送りいたします。


パチ屋で誰かを呼ぶとき

パチ屋の中で誰かを呼ぶとき、幅を利かせているのがいわゆる「代名詞」である。

つまり、「オニイサン オネエサン おっちゃん おばちゃん」などといった言葉である。

それはなぜか? 簡単な話だ。殆どの人が知り合いの名前と素性など殆ど知らないのである。

ボクも経験があるが、人間というものは名前で呼ばれないうち呼ばないうちは、本当の付き合いが出来ていない。つまり、自分は相手のことを信用していないし、相手だって自分のことを信用していない、というわけである…。



■賭場でのルール

実はこういったハナシは、パチ屋以外の世界でもある。特筆すべきなのが男女の世界である。

心を許せない男女はお互い名乗ろうとしない。このことは、それなりの遊びを経験した人であれば納得できることだろう。

だが男女以外の世界で、そういったルールが存在する場所がいくつかある。一つは酒場である。酒を帯びれば、誰の言うことも信用してはならない。というのがその本音というか、酒場でのルールであろう。

さて、ここで話を博打のことに戻そう。

バクチは現金前払い。それは今も昔も変わらない。それは最低限のルールなのである。その理由としては、そもそもバクチ打ちなど信用などできないということもあるだろうけれど、「勝負が終わった後は 負けを支払う気が失せる」ということに起因しているのではないだろうか。

冷静に考えればわかるが、負けた後に借りたお金を返す気など失せていて当然である。だからこそ、賭博場でのルールは、いつも「現金の前払い」なんだろう。そしてもう一つ…。博徒に金を貸すのは絶対のタブーなのである。


■踏み倒しのK

ところがどっこい、そんなことはお構いなしでだれかれかまわず金を借りまくる輩がいる。ボクが通っていた店では、Kがそうだった。

突然、呼び止められ喫茶店に連れて行かれる。そしてそこで彼が話すのは、こういった内容だ。

「なあ 悪いけど5万円ばかり貸してくれや 今ワシ懸命に234番追ってるんや 吹いたら返すから なんとか頼むわ」234番というのは、フィーバー機である。そう回りもせず鳴かず飛ばずの台である。

そういった台に勝負する金を、平然と他人に貸せというのがこういった輩の常だった。そして貸さなければ凄んだり嫌がらせをしたりするのである。

その筋に少しばかりつながりがあるというのが、Kの強みだった。だから彼はそのことをちらつかせ、誰にでも金をせびった。

勿論だが、返す気など全くない。というか、ボクはそれまでに返してもらった人を知らないのである。金を借りた人物とホールで隣通しで座っても、全く意に介さなかった。まるで金借りマシーンである。

そういった蛆虫のような人物が出入りする場所に、ボクは毎日のように通っていた。 

続く

保険屋時代 その6

こんにちは、タカビーです。

今回徒然に書いている記事は、そもそもボクが損保会社の営業社員だった頃の想い出話を綴っているものです。

時代でいえば、1980年中頃から1990年前半にかけてといったところでしょうか。ちょっと不謹慎な話で恐縮ですが、当時流行っていたパチンコ機は平和のブラボー・レーザースペィシーやスーパーコンビ、スロット機ではヤマサのパルサーXXかユニバーサルのトロピカーナが全盛の頃でした。

・一発台
・フィーバー機
・電役機
・権利物
・羽根物
・アレパチ
・スロット機

パチ屋にはこれらの種類の機械が並んでいて、パチンコ産業がどんどんと成長し続けた時期でもありました。おそらくですが、依存者が急激に増えたのもあの頃でしょう…。


80〜90年代のパチ屋は

そういえばその頃、ボクは行きつけのホールで「保険屋」というあだ名で呼ばれていた。下町のど真ん中、しかも商店街に近いとあって、そのホールに出入りしていた連中は十人十色だった。

・店舗をいくつも持っている質屋のボンボン
・なぜか昼間でもいるサラリーマン
・腐るほど金を持っている未亡人
・パトロン待ちのホステス
・幼稚園送迎バスの運転手
・有名割烹店の板前長
・年金暮らしの夫婦
・呉服屋の店主兄弟
・不動産屋の大将
・Δ猟翰人
・居酒屋の店主
・パチ屋の店員
・寿司屋の倅
・女子高生
・愛人さん
・美容師
・ホスト
・税理士
・公務員
・ダフ屋
・ノミ屋

これから、それらの人物の中で印象に残っている人について書いていきたいと思う。



■腐るほど金を持っている未亡人

あの店の常連だったオバサンに一人の未亡人がいた。驚くほどの資産家だと聞いたことがある。何しろ、持ち物と服が違うのである。

40過ぎたオバサンが、パチ屋へシャネルのスーツを日替わりで着てくるものだから、いつも他の客にバカにされていた。バッグはもちろんヴィトンで、靴はなんだかかわいい蝶飾りが付いた、高そうなやつばかり好んで履いていた。おそらくフェラガモだったんだろう。

そのオバサンがまたなんというか若い子が好きで、台など関係なく若い男の子がいると遠慮なく横にベッタリと座って体をすり寄せた。店内がガラガラでも、お構いなしである。ボクも何度かヤラれた。横に座られるとプワゾンだかなんだかしらないが、どぎつい香水の匂いがプンプンした。

ある日のこと、同年輩の顔見知りの会社員がお茶に誘われたらしい。そしてそいつもノコノコと付いて行ったというのだから、もうホールの常連たちは興味津々である。

さぞかしたくさんの貢物でも頂戴したのだろうとボクが彼からあれこれ聞くと、パチ屋の中ではイジイジしていても、喫茶店では厚かましく喋るオバサンだったらしい。

彼は「付き合いせえへん?」というお誘いを辞退したらしいが、その途端にプイと席を立ち、結局お茶代もワリカンだったという。余りのお粗末さに、皆で笑い転げたことを思い出す。


■なぜか昼間でもいるサラリーマン

それとあの頃は、なぜか昼間でもスーツにネクタイ姿の会社員がけっこうホールには居たように思う。

ボクが勤務していたF火災には、かなりたくさんの強者がいた。出禁を経験した奴が、ボクを除いて少なくとも2人はいたからね。保険の稼ぎよりもパチのアガリの方が多い奴も何人かいた。

悲しい話といえば、一人の中年サラリーマンのことを思い出す。彼はたしか、自動車ディーラーの社員だったと思う。

彼は、ボクが出入りしていた店の常連客だった。ある日のこと、彼がボクの横に座ってポツリと言った。

「キミ まだ若いやないか こんなことしてたらアカンで」と。しかしながら彼はボクにそう言いながら、いくらヤラれてもホールを離れなかった。

そんな彼もいつしかその店に来なくってしまった。しばらくして風の頼りに聞いた話では、会社の金を使い込んでスロットをしていたのがばれて解雇されたとのことだった。

あの頃からパチ屋というところは、寂しい人の吹き溜まりだったように思う。そしていつも、なにかしら悲しい話が有った。


続く

保険屋時代 その5

新年、あけましておめでとうございます。

旧年中は小ブログをご愛顧いただき、まことにありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いします。

年末から新年にかけて時間がなく、ブログも掲示板もちゃんと手を入れることができませんでした。謹んで、あなたにお詫び申し上げます。

それと掲示板参加者の皆様にお願いいたします。どうかメインスレッドに勝手な書き込みをしないでください。

メインスレは、新規参加者さんの参加表明と管理者への連絡専用となっています。何卒ご理解くださいませ。

さて…

新年はおめでとうと言うのが習わしですが、きっと年末から新年にかけておめでたいどころか悲観に暮れている方もいらっしゃることでしょう…。

ギャンブル、特にパチ・スロに、新年も何もあったもんじゃないです。賭博は生活するのに必要なお金を、容赦なく奪い取っていきます。依存症ギャンブラーにとっての新年は、ただ単に持て余す時間が多くなるだけでなく、一層劣悪なボッタクリ状態で金を失うことに他なりません。

これから3連休の方も、さぞ多いことでしょう。あなたが無事に過ごされることを、心よりお祈りしています。

今日はちょっと保険屋とは違う話になりますが、余興としてお読みいただければ幸いです。

プロの掟とは

パチプロなどと言うと、世間では少しカッコよく聞こえたりするものである。ちょくちょくある話だが、真面目に生きているということを照れるというか恥ずかしく感じている世代や時代があったりするのである。

かくいうボクもそうだった一人である。憧れる世代どころか、かなりの歳のオッチャンになってからもそう思っていた。ようはアホだったのである。

プロというと聞こえがいいものだ。だが、現実は違う。プロとは、そんなにきれいなものではないのである。ましてや、憧れに値するような代物では断じてない。

彼等の目的とはただ一つ。ホールから金を持ち帰ることである。手段はどうでもよい。

そしてそれが唯一、プロがプロであるための掟でもあるのだ。



■つけるべきケジメ

前回の続きだが、その店の自称プロSは組んでいる店長の異動という憂き目に遭い、全く稼げなくなってしまった。

なにしろそれまではといえば、座っているスロット台は毎日設定6。一発台はといえば一味が、ユル釘台のたらいまわしか放り込みで抜くといった塩梅だった。

そういった美味いハナシが新しい店長が来るというだけでおじゃんになるわけだから、連中にとって一大事である。しかしながら変な話、ああいった連中の筋道をつけるということならば、次のような手順を踏むのが当然である。

1.それまでの店長に 顔つなぎをしてもらう

2.そのうえで きちんとケジメをつけて挨拶をする

3.それなりの手土産を持参する(もちろん現金)

4.新しい店長と「新しいルール」を決める

5.交渉成立

だがSは、そのことをちゃんとしなかった。


■イカサマプロの末路とは

Sがそうしなかった理由については、いろいろなことが憶測できる。まず一番可能性として高いのは、それまでの店長が不祥事などの理由で飛ばされるか解雇された場合である。そういった場合、後任の店長と顔つなぎなどできるわけがない。

次に考えられるのは、(かなり可能性が低かったが)後任の店長が真面目な人物であった場合だ。「プロと組んで一儲けなど とんでもない!」などと思う人であれば、交渉もなにもあったもんじゃないだろう。

だが後程聞いた話によれば、どうやらSは店を舐めきりちゃんとした手順も踏まずにコトに及んだようなのだ。ではなぜボクが次にきた店長が、真面目な人物でないと断言できるのか? それはその店長も、他の一味と組んでいることを知っていたからである。

店長が入れ替わってしばらくしてから、Sはスロットのコインが入っている保管ケースからコインを抜き取っているところを、モロに店長に見つかったしまったらしい。

そしてそれ以来、Sは出禁になったのである。もちろんだが関連していた店員は飛ばされ、一味も出禁となった。

事情をよく知る店員から話を聞いたが、Sはそれまでも保管ケースからコインを抜き取って、換金していたという。インチキとかイカサマを通り越して、完璧な窃盗である。

で、そのパチンコ店がその後どうなったかだが、平和を取り戻したように見えたのも、ほんのつかの間だった。

また別の蛆虫がやってきて、その店を取り仕切るようになったのである。やはりモーニングといった不公平な利益分配システムには、大きな欠陥があったといえるだろう。

今思えば、あの頃ボクが出会ったプロと呼ばれる連中は、皆腐りきったやつばかりだった。語弊があるといけないので書いておくが、その後にボクは卑怯な手段を使わずに正々堂々と稼ぐプロにもたくさん出会った。

そういえば、いろいろな人物と人間模様に出会ったのもあの頃だ。次回はその頃ボクが出会った、悲しい人たちについて書いてみたい。

続く

保険屋時代 その4

こんばんは、タカビーです。

遅い時間ですが、保険屋時代、続きです。


忙しい奴ほど怪しい…

いろいろな仕事を経験してきたボクだが、営業職というのは本当にくせものだと思う。自己管理が、とにかく難しいのである。

自己管理が難しいとは、どういったことか? それは、ついつい自分に負けて仕事をサボってしまうということだ。

そしてサボることが常習化し始めると、もう手が付けられなくなる。かつてのボクもそうだったが、忙しいふりをしてとにかく早い時間から社外に出た。

勿論、行先はパチ屋である。忙しい奴ほど怪しいというのは、まず間違いないと思う。



■日課はモーニング取り

当時のボクは朝礼が終わると、さも忙しそうにふるまい、アタッシュケースをたたんで外へ出た。目的は一つである。行きつけのパチ屋に行って、モーニングにありつくことだった。

モーニングとは文字通り朝一サービスで、店側があらかじめパチスロ機にボーナスを仕込んでおく方法のことである。今ではモーニングを仕込むことが禁止されている。たが、当時はモーニングを入れているパチ屋が多かった。

モーニングのある店の前には必ず行列が出来る。とにかく千円分のコインを買ってモーニング台にありつけば、4千円強が儲かるからだった。

並ぶメンバーは毎朝殆ど同じだったが、古参のメンバーほど偉そうにしていた。メンバーの中には主婦や老婆なども交じっていたが、いかんせんパチスロというものは絵柄を揃えないとどうにもならない。

古参のメンバーの中で、その店を仕切っている自称プロのSという人物がいた。彼は主婦や高校生に小銭を掴ませ、モーニング台のアガリだけで喰っていた。


■汚いプロの世界

思えばボクは、実力がものをいう外務社員の世界から逃避しながら、同じような実力の世界であるパチプロに憧れていた。

しがらみを持たず自分の腕一本でメシを喰える彼らに、ボクは一抹の不安も待たず傾倒していたのである。

だがそんなボクも、次第にパチプロに失望するようになっていった。なぜなら、パチプロの世界がどれほど汚いものか思い知ることになったからだ。

その店にいたIというプロは店長と組んでいた。そして彼だけ、通常は賞玉が1個のフィーバー機を、賞玉15個に仕組んでもらっていた。それだけで彼は、毎日日当2万円を手にして帰った。

先に書いた自称プロのSだが、実際はプロどころかとんでもないイカサマ野郎だった。

彼も当時ボクが通っていたパチ屋の店長と組んで、抜いていた。

・一発台の放り込み
・高設定台のたらい回し
・コイン隠し

とことんやっていた彼だが、ある日組んでいた店長が異動した。それから彼の行動がエスカレートした。それまでのように稼げなくなったからである。

そしてそれから数日が経過し、事件が起きたのだ。

続く

保険屋時代 その3

こんばんは、タカビーです。

今夜も前回の続きです。


社内営業って

ここで当時の裏業界用語について、少し書いておこう。

社内営業とは一体何か? 社内営業には、主に2種類の方法があった。そのうちの一つは担当マネージャーに媚を売り、死骸漁りをすることだ。死骸を拾うことだって、立派な営業活動だったのである。

損保業界だけかもしれないが、辞めた外務社員が残した契約のことを死骸と呼んだ。また外務社員が会社を去るときは自分の契約を売ってからやめるのが常識で、だいたい収保額の1割くらいが販売額の相場だったように思う。

誰かが辞めれば真っ先に死骸にありつけるのは、一番実力がある社員だった。そして一番収保額が少ない社員には、手数料が少なく遠方の契約しか回ってこなかった。

だが社内営業の上手なやつは、巧みにマネージャーにすり寄り、おいしい契約をものにした。



■一本釣り

社内営業のもう一つの方法とは、一本釣りである。つまり大きな契約を、一本釣りするわけだ。

例えば自分が心安い銀行支店長と、支店のマネージャーを取り持つことが専門の外務社員もいた。簡単な話、支店の数字がどうにも足りない時、銀行の支店長に耳打ちして銀行の火災保険を融通してもらうのである。

当時から住宅物件の長期火災などは、金額が大きいので一発で数字を埋めるために重宝されていた。そして銀行はといえば、その見返りに保険会社から通知預金を頂戴するという寸法だった。

そういった社内営業をする外務社員は、人けのない時にマネージャーからそっと呼ばれ、銀行から回ってきた火災保険の扱い者となるのである。長期火災の保険料は高額なので、かなり大きなリベートを得ることができた。1件で10万を超す手数料が動くことさえあった。

そして契約をまわしたマネージャーが、極秘で外務社員から接待で奢りを受けるというのが当時では主流だった。今ならば、こういった手法はかなり大きな問題だろう。だが当時は、常識として通用していたのである。


■命がけだった生保レディー

先の記事でボクは生保レディーの枕営業について書いた。今では、とんでもないことかもしれないが、当時はやっている社員が多かった。それほどまでに生保の世界は厳しく、彼女たちは命がけだったのである。

ボクが枕営業のことを知ったのは、一つのきっかけがあったからだ。

とある日、ボクは行きつけの喫茶店でお茶を飲んでいた。すると一人の中年女性がボクの隣に座ると、名刺を差し出して挨拶した。以前から見かける顔だったが、彼女は同じビル内にある大手生保会社のセールスレディーだった。

当時、損保会社の外務員と生保レディーが協力し合うことは多かった。ボクはその人から「一緒に組まへん?」と誘われ、互いにお客さんを紹介し合うことにした。

その人は当時業界のことに詳しく、ボクはいろいろなことを教えてもらった。枕営業のこともそうだった。

ある日のこと彼女が枕営業という言葉を口にしたとき、ボクは何のことですか?と尋ねた。すると彼女は「タカビーちゃん 枕営業も知らへんの?」と半ば呆れた顔でボクを見つめ、タバコに火をつけた。それから彼女は、懇切丁寧にそれがどういったものか説明してくれた。

「あんた 生保の社員がなんで女ばっかりなんか 知らんのん!」

ポカンとするボクに彼女は次のように続けた。

「女の武器は色気なんよ それでお客さんを落とすわけよ」

「契約の為にお客さんと寝る社員は多いわ もっともアタシはやったことないけど…」

何でも話を聞くと、生保レディーは契約がそこそこ取れるようになるまで、とにかく出費の連続なのだという。仕方なしに枕営業する人が多かったのだろう。今思いつくだけでも、次のような出費があった。

・客への心づけ
・紹介手数料
・誕生日プレゼント
・成約お礼
・招待チケット
・販促品
・通信費
・衣装

当時、生保の支社に行って、ちょくちょく朝礼に出くわしたことがある。彼女たちが座るテーブルの上には所狭しと、いろいろな販促品が置かれてあった。また、共用の公衆電話があったことも思い出す。なんと営業で使う電話代まで自分持ちだった。

つまり営業に関するものは全て「自前」だったのである。そこにはキレイごとでは済まない、命がけの世界があったように思う…。

ボクは損保出身だが、生保に比べりゃまだまだ甘い世界だった…。

続く
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