ギャンブル依存症克服への道 〜パチンコ依存症・スロット依存症・断ギャンブル道場です!〜

ギャンブル依存症を治療し、快復・克服することは大変困難です。どうぞ遠慮なくご相談ください。ここでは、生活環境と生活習慣を改善してギャンブル依存症を克服する方法を、お金の専門家FPがご提供いたします。やめさせたいあなたも、ぜひどうぞ! 

エピソード

ギャンブル依存症克服法 自分への手紙〜あるクライアントさんの場合その1

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タカビーです、おはようございます。


昨日の願望するって話、いかがだったでしょうか? 実は投稿し終えた後で、ふと思い出したことがあります。


以前見た映画に『ネバーエンディングストーリー』という映画がありました。 この映画は、母親を失った少年の心を描いたメンタルな冒険映画として有名です。

少年が本の中の世界に入り込んで、そこに居る姫を助けるといった冒険のストーリーだったですが、印象に残った場面があります。

少年を無力にする為に、悪者の手先の嘘つき鳥が少年に魔法をかけ「願えば叶うんだ!」といって、少年に『願う』ことを勧めます。 

その魔法にかかれば「一つ願えば、記憶が一つ失われていく」のです。

そして少年は願い続け、少年の記憶は一つ、また一つと失われていきました。

しかしながら、少年の失われていく記憶の中には、亡くなった母親との触れ合いと別れのシーンが有りました。 

その少年の記憶を見た嘘つき鳥は、あまりに少年が可哀想になり、少年を助けるといったストーリーだったと思います。



本の中の世界では、『願えばその数だけ記憶が失われていく』ということでした。 しかしながら結果的に・・・、


〜少年は願うことにより、目的を達成できたのです。〜


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分への手紙(Aさんの場合・・・)


タカビーさん


少し照れくさいけど、
記事にして下さっていいですよ・・・。


                 by Aさん

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キミが生まれたのは、●●市のちっぽけな病院だった。 とっても泣き虫だったらしい、お父さんとお母さんが言ってたよ。


myselfキミはお父さんとお母さんにとって二人目の男の子だった、そしてキミの後には兄弟は出来なかったね・・・。


キミはとても大切に育てられた、キミのお母さんはよく言ってたものさ、「私の目の中に入れても痛くは無い。」ってさ。


お兄ちゃんとは小さい頃から仲が良かったんだ。 そうお母さんが言ってたよ。 キミとお兄ちゃんは仲の良い兄弟だって、近所でも有名だった。 一緒にランドセル背負って、あぜ道を歩いて仲良く学校に通ったよ・・・。


そんなある日、家に帰るとお父さんが泣いていた。自分でやっていた会社が倒産してしまったんだ。


じきにお母さんが働きに出ることになった。 キミとお兄ちゃんはそれぞれ鍵を与えられた・・・。 


“その意味もわからずはしゃいだこと、覚えているかな?”


それからキミとお兄ちゃんはいつも、お母さんが帰ってくるまで、外で遊び続けるか家で一緒に遊ぶかしていた。 少し寂しかったけど、そうして毎日仲良く時間をつぶしていたんだ。


でも、その頃からお母さんがキミとお兄ちゃんに、とてもきつく当たるようになった。 お母さんもきっといろいろと、辛いことがあったんだと思う。


不幸な出来事があったから、あの頃からお母さんは「うつ」になっていたんだね・・・。 髪の毛もかなり抜け落ちたらしい・・・。


キミが小学校3年のときにお兄ちゃんが、何か悪戯をしてお母さんに蹴飛ばされたことがあった。


そのときキミは、「お母ちゃん、もう堪忍して!」と叫びながら必死になってお兄ちゃんの上に覆い被さったね。


“キミはほんとうに優しい子だったんだ・・・。”


そのあとお母さんも泣いてた、「みんな、会社が潰れたのが悪いんだ!」って言いながら泣いてたよね。


お父さんはあまり仕事に行かなくなった。 家に居る日が多くなり、居るときは昼間でもお酒を呑んだ。 お母さんとよく喧嘩になることがあった。キミは何度か聞いたことがあるだろう!


「この子達を連れて家を出ます!」何度もお母さんがお父さんにそう言ってたことを、思い出さないかい?


優しかったお兄ちゃんも、よく学校で喧嘩して帰ってくるようになった。 それからしばらくして学校から電話がかかってきた。


〜お兄ちゃんが万引きして捕まったんだ・・・。〜


あの頃のキミは、とても辛い毎日だったと思う。 いつも家ではお父さんとお母さんが喧嘩し、お兄ちゃんは人が変わったようにしゃべらなくなった・・・。


キミは本当は、お父さんとお母さんにしっかりと甘えたかったんだね。 みんなでどこかへ遊びに行ったり、虫取りに行ったり、泳ぎに行ったりして楽しく過ごしたかったのさ・・・。


〜でもそれは叶わなかったね・・・。〜


あの日の小学校の運動会を覚えているだろう? 他の子たちがみんな家族でお昼ご飯を食べているのに、キミはたった一人校庭の片隅で、冷たいおにぎりをかじっていたね。


とても辛かったんだね、でも友達もいるし泣くことも出来なかった・・・。 そしてあの頃から、キミの心は痛み始めたんだよ・・・。


キミは中学校に進んでから、友達にもあまり恵まれなかった。 いつも昼休みのお弁当の時間が嫌だった。 粗末な弁当を他の子たちに隠して食べなければいけなかったからさ。


キミは小さい頃はよく勉強も出来る子だったらしい。 でも、その頃から勉強もしなくなり、学校に行くのも嫌でしょうがなくなった。


家の中では相変わらず、お父さんとお母さんが毎日のように揉めていた。 お兄ちゃんは、高校に行きながらバイトを始め遅くならないと帰ってこなくなった。


その頃、キミは何度も家を出ようって考えたね。 今考えてみると、もうあのときにキミの心はボロボロだったのさ・・・。


でも、キミは頑張って我慢し通して中学校を卒業した。 偉いと思う。 ちゃんと受験も乗り切って、●●県じゃちょっとした公立高校に入ったんだから・・・。


あの時は、お父さんもお母さんもみんなとても褒めてくれたよね。嬉しかったろう?


でもキミはその後、いつも強い劣等感に悩まされて生きてきた。「俺はどうせダメな奴だ!」そう思いながら生きてきたんだと思う。 


それに、いつだって家のことが負い目になっていたよね。 あの頃のキミの日記には、『この不幸な家』って何度か書かれてあったよ・・・。


そして、キミが高校3年になり進路を決めねばならない頃、その事件は起こったんだ・・・。


 〜続く〜


PS


この『自分への手紙』は私のクライアントであるAさんに転載の許可を頂戴し、私タカビーが少し加筆・修正したものです。 ご協力いただいたAさんに、この場でお礼申し上げます。
(掲載した写真は、個人を特定する物ではありません。)


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ギャンブル依存症克服法 エピソード12 公園が賭場だったあの頃

ジャンジャン街昨日の続きです。


こういった遊びはちゃんとしたルールも有りましたし、使う球によって数える単位まであったもんです。


チビスケは賭けずにゴマメとして参加できるとか、子供ならではの決まりと思いやりがあったのも事実です。


 〜まあ今考えると、この類の遊びはいわば
   ギャンブラーの養成だったわけです。〜


私は結構強く、せっせと貯めたビー球が大きな甕いっぱいあったのを思い出します。


で、その一方で下手な子は、近くの駄菓子屋に行ってビー玉を買って来なくてはなりません。


私を含め、何人かの強い子たちは自分がせしめたビー玉を、こういった弱い子に売って儲けていたともいえます。


今考えると、もうあの頃既に・・・・・、


 〜賭け始めていたのですね、バクチですもんねアレは!〜


私もそうですが、ギャンブラーの過去の話を聞くと、何らかの賭博がらみの過去が存在する場合が多いのです。


私の場合それは小学生の頃のビー球だったわけですが、そういったことについては人それぞれです。


ある人は父親に幼少の頃からよくパチ屋に連れて行かれ、景品のチョコレートをよく貰ったそうです。


ある美容師の女性は母親がせっせと宝くじを、毎回のように購入していました。


私の知り合いは突然現金5万円親から手渡され、これで適当に遊んで来いと言われました。



特に身内にギャンブラーが居ると、これは悲しい事実ですが、その後かなりつらい人生を送る可能性が高いのです。




 〜いずれにせよ幼少の頃からのバクチは、
  良かろう筈がありません。〜


例えば、


私がビー玉に高じていた時、お金を多く貰える裕福な子供はなりふり構わずいくらでもビー玉を買いに行きましたからね。


こういった状況になれば、それがたとえちっちゃな子供であったにせよ・・・・・・、


 〜ギャンブル依存症であるとさえいえるのです。〜




今の時代にビー球・べったんは無いでしょうが、その代わりにもっと恐ろしい賭け事で世は溢れています。


小さい頃から株式取引させるとかね・・・・・・、(村上ファンドのあの方もそうだったと聞いてます。)


 〜こんなことやめてよね。〜


もしあなたにお子様がいらっしゃれば、もしくは今後結婚されるのであるならば、次のことをよーく覚えておいて下さいね。


 〜ギャンブラーを作ってはならない!〜


 〜ギャンブラーを育ててはいけない!〜


エピソードおしまいです、今日も最後まで、有難う御座いました。

ギャンブル依存症克服法 エピソード12 公園が賭場だったあの頃

懐かしき昨日の続きです。


私は大阪市の福島区で生まれ、中学校の2年生までそこで育ちました。


福島という所は、梅田の真横にあって何かしらパッとせず、ガラが悪かったので昔は【ガキ島】と呼ばれていたんだとか、


それで、それはあまりに名前が良くないって事で今の福島に改名されたと云ういきさつがあるそうです。


まあいずれにせよ、あまり子供の教育の為には良い場所だったとはいえません。


住んでいた家の5〜6軒となりが組事務所だったですからね、雀荘が斜め前で向かいが中華料理店、


よく組のオニイサンと一緒に、キャッチボールとかやって遊んでもらった記憶が有ります。


付近には大きな公園も無く、有るのは猫の額ほどの小さな公園だけ、


 〜たしか、ひまわり公園って名前でしたかね。〜


付近に住む子供たちの遊び場はその公園しかなく、そこに遊びに来る顔見知りの子供たちは、その殆どが付近の商売人の子供か近くの中央卸売市場の仲買い人などの子でしたね。


パチ屋の息子のO君、ピンク映画館の息子のK君、靴屋の息子のK君など、私の知り合いといったらその程度でしたか、


子供たちが公園に来る目的は、その殆どが遊びとはいえ賭け事です、つまり・・・・・・、


ビー球

メンコ

おはじき

べったん


いずれもね、勝った者が賭けた物を貰えるという遊び、つまりはバクチだったのです。


あなたがお幾つなのかは知りませんが、ひょっとしてこういった遊戯をご存知かもしれませんね。


お若い方は殆どご存じないのでは・・・・・・・・?


特にこういった遊びの中で人気が高かったのがビー玉で、私は幼少の頃からこれに熱中しました。


遊び方は何通りかあって、一番人気があった遊び方が【ナキ】という遊び方でした。


地面に穴を掘り、賭けたビー玉をその穴に投げ込みます。


穴から跳び出たビー玉の中から、相手は狙いにくそうなビー玉を指定します。


離れた距離から別のビー球を投げて、見事命中すれば全員の賭けたビー玉を総取りといった遊戯で・・・・・・、


5〜6人でやると賭けた球の数が多くなり、かなりアツかったことを想い出します。



続く


ギャンブル依存症克服法 エピソード12 公園が賭場だったあの頃

かつての繁栄タカビーです。


昨日の記事で、【習慣癖型】つまり惰性で通うあなたへ向けてのメッセージは終わりです。


次はあなたもパートナーもギャンブラーである場合、【夫婦共依存型】についてお届けしてゆきます。


さて今日ですが、例によりまして、またまたエピソードってことでお話したいと思います。


先日お便りを頂戴いたしましたTさん、「よくそれだけ書くことが有りますね!」って言って下さいました。


 〜どうも有難う御座います、でも、
  いつネタ切れになるかわかりませんので・・・・・。〜


それにしても・・・・・、


 〜エピソードだけでも、よくこれだけ有るなと
  ホント我ながら思います。〜


複雑な心境です、まあ殆どが過去のペケポンの記録ですからね(^▽^笑) 


 〜良い想い出なんて、まあ数少ないですから。〜




さてさて、気を取り直してお話しましょう。


 〜公園が賭場だったあの日です。〜

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ギャンブル依存症克服法 エピソード11 テーブルポーカーとデカ

私は悪い予感がしました。


彼と一緒に店を出ると、彼に向かって話しました。


夕暮れ
「さっき奥に居たデカが居なくなったんだよ、
 なんかヤバくないか?」


「そういえば、突然居なくなったよな。」


「オレ、当分この店に来るのやめようと思う。」


「確かに・・・・・・、その方がいいかもな。」


そして私たちはその店に行くのをやめました、そして1週間くらい経ったでしょうか・・・・・・。


突然その店は閉められました、二日たっても三日たっても閉じられたままでした。


知り合いに聞くと、そこで警官による摘発があったとのこと、何の摘発か、それが麻薬なのか違法賭博なのか今となってはわかりません。


しかしながら、もし私達が行くことをやめなければ、まずその騒ぎに巻き込まれたに違いありません。


 〜実際、ゾッとしました。〜


その後、いろいろな人の話を聞いて、あのテーブルポーカーが違法賭博であり、警察の取締りの対象になっていることを聞きました。


知らなかったとはいえ、無茶なことをしていたものです。


それと・・・・・・、


そっと、「やめたほうが良いですよ。」と忠告してくれたあのデカに感謝しました。


 〜あの一言がなければ、まず間違いなく、
  気にもかけずに通っていたでしょうからね。〜



そして、それから全国各地で違法賭博の一斉取締りが始まりました。


東京は勿論のこと、大阪でも何件もの賭博機設置店が摘発され、経営者が逮捕されました。



余談ですが・・・・・・・、


私は「日本バーリー」という違法賭博機製造販売会社の、摘発を目撃したことが有ります。


私服警官が、刑事ドラマさながらに建物を取り囲み、無線で連絡を取りながら身を隠して張り込む姿を、今も忘れることが出来ません。


この摘発と大捕り物については、翌々日のニュースと新聞で公表されました。


大阪南警察署の賭博機汚職、俗に言う【南町奉行事件】が起きたのもこの頃です。


あれからも、違法ギャンブルに関する摘発や逮捕者の話は後を絶ちません。


もし・・・・・・、もしあなたがこういった違法なギャンブルをなさっているのなら、


 〜あなたの破滅への選択肢は、
  通常のギャンブラーより格段に多い。〜



このことを、よく覚えておいて下さいね。


今日も最後まで、有難う御座いました。

ギャンブル依存症克服方法 エピソード11 テーブルポーカーとデカ

黄昏
客が少ない日でした、私は知り合いの営業マンとその店で昼食を取っていました。


すると・・・・・・・、


突然、一つとなりのテーブルの客が喚きました。


「ああ!オレはなんて馬鹿なんだろう!」

「オレはこいつのせいで、全て失った。」

「金も名誉も、家族も何もかも・・・・・。」


常連だった初老の会社員風の男はそう言うと、昼間だというのにその日何杯目かのウイスキーのロックを注文し、こう続けました。


「たった1回でいい、こいつが出たらオレはやめるのに・・・・・・・、どうか出てくれ!!」


アルコールの勢いもあったのでしょう、誰に話すわけでもなく、彼は呟きました。


私にはわかっていました、こいつとは何のことか、そして・・・・・・、彼の気持ちが痛いほどわかったのです。




 【ローヤル ストレート フラッシュ】


これがテーブルポーカーの最高役でした、投資金額が500倍になるのです、1BET100円で最高10BETですから1000円、それが50万円になるわけです。


勿論こういった役はそうそう出るわけではありません。


しかしその役を拝むまではと、この初老の会社員は通い続け毎日摩っていたのでした。


それからしばらく時間が経ち、彼は突然叫び声をあげました。


「出た!出た、出た・・・・・・。」


私たちは彼のテーブルに向かいました、そこには紛れもない三つ葉の最高役が揃っていました。


 “5BETの【ローヤル ストレート フラッシュ】”


彼の手許に25万円のキャッシュが転がり込みました


「これでやめれる・・・・・・。」


彼はそういい残すとその店の客全員の注文伝票を引き受け、支払いを済ますと、意気揚々とその店を去っていきました。


残された私たちは、持ち点のカウンタがリセットされるのに30分は優にかかるであろうそのテーブルの、カチカチというリセット音を聞きながら呆然としていました。


それは・・・・・・、


一番の願望を実現して去っていった彼のこと・・・・・・、


 〜こいつが出たなら、やめられる・・・・・・。〜


そう言い、それを実現して去って行った彼を羨む気持ちからでした。


その時、私はふと気付きました。


 〜さっきまで一番奥のテーブルに座っていた
  【デカ】がいなくなっていることを・・・・・・。〜



続く

ギャンブル依存症克服法 エピソード テーブルポーカーとデカ

タカビーです。


昨日までで、働く気力が乏しいあなたへのお話は終わりです。


本日は・・・・・、また例によりまして、^^エピソードということでお話してまいります。


 〜少しお気軽にお読み下さいませ。〜


 【テーブルポーカーとデカ】という話です。

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ギャンブル依存症克服法 エピソード(ある手記から 最終回)

 
 〜彼の手記はここまでで終わっています。〜

Fine
その後の彼は、幾度も幾度も人間関係で失敗し人生の荒波に揉まれながら生き続けました。


正に、泥まみれ、汗まみれ、そして血まみれになって生きてきたのです。


そして彼が自立するということを体感できたのは、実に人生の半分近くを生きてからだったのでした。




 〜実はこの手記の作者は、
  私の有能なパートナーです。〜



私はそのパートナーと向き合い、話し合い、相談し、このブログを更新し、これまでに多くの方々と良い関係を結ぶことが出来ました。


そして私はいつも彼を見つめ、彼と向き合って今日まで生きてきました。




 〜このパートナーとは、私自身です。〜


私はこのブログでも、日々の活動においても、必ず自分の過去と、そう!


 〜過去の自分と向き合って書き続け、
  喋り続け、活動してきたのです。〜





私の過去の体験が、決して良いものだったとは思いません。むしろ、辛く悲しく、不幸な物だったと今も感じています。


しかしながらこういった経験が無ければ、今の仕事も出来ていないし、きっとあなたのお役にも立てないことでしょう。


つらい過去・つらい経験ではありますが、私にとってはかけがえのない経験だったと、今そう感じています。


ですからもしあなたが、ご自分のつらい経験や過去をお持ちで有るならば・・・・・、


そのことを、全く無意味なつまらない事とは、決してお考えにならないで戴きたいのです。


なぜなら、そういった経験を持つ人で無いとわからないことが、世には沢山有るからです。


こういったことで悩んでいる方の、本当の気持ちは経験した人で無いと、まずわからないでしょうからね。




そうなんです・・・・・・、


 〜あなたの嫌な経験も、
   立派に役にたっているのですよ。〜



そして、これからも役に立てることが出来るのです。


 〜このことを、あなたにわかって戴きたいのです。〜^^


少し長いエピソードでしたが、最後までお付き合い戴き、どうも有難う御座いました。





追記


気が向けば、また手記の続きを書こうかなと思っています。


 〜今は少し書く気分に
  なれないのですが・・・・・・。〜


でも、次回に少しだけお話してみます。


それでは

ギャンブル依存症克服法 エピソード(ある手記から その4)

A2
転校してから友人に恵まれ、私の人生は毎日がとても楽しいものでした。


ただ・・・・・・、


自分を押し殺し、自分の悪い所を友達には決して見せないよう気をつける、


ただそのことだけは、いつでも、どんな時でも必ず頭の片隅にあったのは事実です。


それは・・・・・、


本当の自分の正体がばれて、友達を失うことだけは、何としても避けたいとの一心からでした。


自分を抑え、他人を気遣うことも少しづつ覚え、ぎごちないながらも私は学校生活を無難に送りました。


その反面、


 〜失敗を繰り返してはならない!〜
 常にそう心の中で思い続けていたわけです。




 〜その後の私の人生は、
  信じられないくらい順調でした。〜


高校進学、大学進学と順調に進み、大学の頃には体育が苦手だったにも係わらず、体育会系のクラブを卒業するまでやり通しました。


就職も大手の企業から複数の内定を貰い、順調に社会人となることが出来ました。


こうなると、かつては口やかましく私のことを叱咤していた両親も、私に対して何も言わなくなりました。


そう! 私は今までのプロセスはともあれ、この時点で自慢の息子になっていたのでした。




 〜この頃の私は自信に満ち溢れていました。〜


やることなすこと全てが、自分でも驚くほどうまくいったのもこの頃です。


そんな私が、次に人間関係で躓いたのは大学を卒業し、有名企業に就職して2年たった頃でした。




 〜そう! 錯覚だったのです。〜


愚かな私は、この時点で自分が自立できていると、錯覚していたのでした・・・・・・。




    〜続く〜

ギャンブル依存症克服法 エピソード(ある手記から その3)

A3
 
〜私が中学2年の秋のことです。〜


私たち家族は、大阪市内の市街地にあった住居から、近郊の住宅地へと引っ越すことになりました。




引越しの理由の一つとして・・・・・・、


後から聞かされましたが、私の教育上の事も有ったと言うことでした。


それほどまでに、両親は当時の私を問題児だと思っていたのです。


だからこそ、少し環境の良い所でという、はかない希望もあったのでしょう。


ともあれ、私は大阪市内の学校から少し田舎の学校に通うことになりました。


そしてその地の中学校に転校した、正にその日・・・・・、


 〜私はクラスメートと喧嘩し、
  殴り倒してしまったのです。〜


喧嘩を売ってきたのは相手でしたが、私は転校早々札付きのワルとして、皆から一線を引かれました。




『Alone again!』 


そう、またしても私は転校の初日から、一人ぼっちになってしまったのでした。


そう! またしても・・・・・・・・。


その日家に帰ると、私は自分の部屋の窓を開け、見慣れた町並みに代って目の前に広がる、見たこともない風景を眺めながら・・・・・、



 〜ため息をつきました、
  涙が止め処なく流れました。〜


それは・・・・・・、


知らない場所に来て、またしても孤独な生活が始まることの辛さと、自分に対する情けなさからだったように思います。




 〜すると、突然玄関のドアホンが鳴りました。〜


「●●●●、お友達よ。」
母がそう言ったのを聞いて、私は驚きました。


 〜私の元へ遊びに来る子なんて、
  居る筈がない事を知っていたからです。〜


涙を拭いて下に降りると、そこには先ほど私に殴られて少し顔を腫らしたクラスメートと、その友人らしい二人が揃って立っていました。


私の顔を見ると、開口一番、その中の人懐こそうな顔をした一人がニッコリと笑って言いました。


「おい! ココ探すの大変だったんだぜ。」

「学校終わって、探したら、もう帰ったって言うから担任に聞いて急いで来たんだ。」

「さっきの喧嘩、こいつ、おっちょこちょいだからアホなことしてさ・・・・・・、まあ気にしないでくれ!」


聞けば彼らは、転校生の私が学校でうまくやっていけるように気遣い、放課後に私を探してくれていたのでした。


私も素直に先ほどの喧嘩相手に詫び、彼とも仲直りすることが出来ました。


「これからも、よろしくな!」
 そういうと、3人は帰って行きました。


私は、思いもかけず友人が3人も出来・・・・・、


 〜喜びに胸が高鳴りました。〜


今度こそ・・・・・、そう! 今度こそ、オレは孤独な生活からおさらばするんだ!


 〜私は心にそう誓うと、その日
  尋ねて来てくれた3人に感謝しました。〜



それからは中学生らしく・・・・・、


お互いの家に遊びに行ったり、釣りに出かけたり、女の子のハナシをしてみたりと、初めての友人関係を体験しました。


そして、このことを境として、私自身も少しづつではありましたが変わって行ったのです。


 〜他人を気遣うことも、
  少しづつではありますが覚え始めました。〜



      〜続く〜
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